教育福島0095号(1984年(S59)10月)-027page

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随想ずいそう

 

一生一石

会田辰夫

どれほどいるか存じませんが、水石だけは誰にも負けたくないと思っています。

 

まもなく五十六歳になりますが、学問、芸術、スポーツなどで皆さんを前にして何一つ自慢できるものはありません。趣味の分野でも棋道の段位認定テストで五段の免状を頂戴しましたがこれとて宝くじをひき当てたようなもので、実戦の伴わない紙上の次の一手ばかりではとても自信が持てません。そんな中でも「水石」だけは例外で、十数年来「一生一石」を自採することを密かに心に決め、事情の許す限り努力精進を重ねてきました。日本の数ある教師の中に愛石家がどれほどいるか存じませんが、水石だけは誰にも負けたくないと思っています。

私は昭和三十八年の秋に平楽石会の水石展示会を初めて鑑賞して以来、すっかり水石の魅力に取りつかれてしまいました。それからというものは地元の好間川を始め会津の只見川、岩手の北上川、新潟の阿賀野川などへの探石行が続きました。そして五十三年十二月十日、霙の降る寒い日でした。四十九号線に沿って悠々と流れる阿賀野川のほとり、新潟県は三川村の川原で、私は生まれて初めて心の底からの喜びを感じるとともに、神に感謝したい気持ち、石に頭を垂れたい思いを体験しました。この時に限って私は車を降りるや否や何物かに惹かれるかのような思いでした。逸る気持ちを押さえつつも足早に一直線に進んだ先に、この「麒麟山」を見い出したのです。水辺の砂に半分ほど、底の部分をやや斜めに現していたその石は、私の目には、あたかも私の迎えを待っていたかのようにさえ思われました。思わず傘を投げ捨て、「あった。あった」と大声で仲間に知らせたあの時の感動は生涯忘れられないだろうと思います。

かつて諸橋名誉会長(平楽石会)が好間川で「心山」を見つけた時、思わず「天なり命なり」と絶叫し、感動の余り天を仰ぎ神に感謝したと聞きましたが、私も石を愛して十五年目にして名誉会長に近い感動を味わうことができたように思います。

この石や火のよ水のよ神の代の

いくよへにへてわれと相見る

(放庵)

まさしくこの感動でした。

ところで水石は、小さい一個の石に大自然を連想して楽しむものです。とりわけ山形の石に注いだ水が、あたかも霧が山の頂きよりだんだんと晴れていくように乾いていく時の、濡れ色と石肌の微妙な変化を楽しむのが水石の醍醐味であると言われています。そしてまた山や川に探石すれば心が洗われる結構なものでもあります。仕事にも慣れ一段落したころあいを見て、石を愛する仲間と連れ立って探石の一日を過ごしたいと思っています。

(県立小高商業高等学校教頭)

 

家族の対話から学ぶこと

田中靖則

地域の古老が、黒沢部落について次のような話をしてくれた。

 

地域の古老が、黒沢部落について次のような話をしてくれた。

「昔、黒沢は西方峠から野沢へ通る主要なとおり道であった。しかも、野沢への玄関口としてたいへん栄えていた。旅人は、峠へ出ると高力山を仰ぎ見ながら、まるで休み屋でもあるかのように歩を休めたものだ。

高力山の影に隠れるように、杉木立の合間に民家が見えていた。ちょうど西の空に日が沈むころ、旅人の目には、この地が黒くうっそうとして見えていたそうな。

黒沢の地名の由来は、そういう話からきているのだよ」

四季の集いという集会活動でのことである。

数日後、子どもたちの反応を聞いてみたところ、「あんな話初めて聞いた」とか、そんな話があるなんて思ってもみ

 

水石「麒麟山」

 

 

 

 


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