教育福島0095号(1984年(S59)10月)-031page

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鳳仙花

面川真一郎

鳳仙花の咲くころになると、想い出される失敗談がある。

 

鳳仙花の咲くころになると、想い出される失敗談がある。

今から十数年前、浜の小学校で特殊学級を担任していたころ、各教室の前には花壇が造られている。私が園芸係をしていた時であった。知恵遅れの子数人に、除草作業をさせるため花壇につれて行き、鳳仙花を指し、「これは花だよ、あとはみんな草だから、除草しておくように」と、急ぎの報告文書があり、教室で仕事をしながら、そろそろ終ったとの連絡がありそうなはずと心まちにしていたが、来るようすがない。どうしたのかと花壇に出てみたら、汗を流しながら熱心に除草を続けているではないか。よくよく見ると、私が「これは花だよ」と、指さした花の一本だけが残り、他の鳳仙花の仲間は、雑草とともに引き抜かれているではないか。開いた口が塞がらない。普段なら何聞いていたのかと、叱りつけるところだったが、待てよ、これは誰の責任か、一緒に作業して具体的に、その子どもたちの能力に応じ、わかるように指導しなかった教師の方に落度があったと気づき、「これは花」と抽象的に説明した「これは」とは、その指し示した物一つのこととしか理解しない知恵遅れの子供の特質をいつしか忘れ、経験の上にあぐらをかいてしまった自分を恥ずかしく思ったことであった。普通知能を持った子どもたちの場合は、一つのことから類推して考えることができるのに、この子どもたちには、大変理解困難なことであり指導者にとっては、落とし穴なのである。

これに類することがもう一例あった。私が国内留学生として、東京で半年間の研修中同僚のM先生から、お詫びの手紙をいただいた。内容をよく読んで行くと、先生の大切にしていた、サボテンの鉢物が全部枯れてしまって申訳ないということであった。これは前記の子どもたち当番二名が、朝登校すると如露で水をかけ、次に来た子がまたかける、サボテンは毎日雨の日もたっぷり水をかけてもらい、腹いっぱいで腐ってしまったのである。

植物でも、動物でも、その本質的なものを十分理解できるよう、一つ一つ手に取るように、その子の能力に合った方法で指導できるようになってこそ本物の教師といえるのではないだろうか。このようにして、子どもから教えられどうしの特殊学級担任十二年間だった。

現在の教育現場では、どうであろうか。ややもすると、こう説明したからわかったはず、わかるはずと、わからないのは子どもが悪いといった一人よがりの錯覚に陥った指導をしているようなことはないだろうか……

四年ぶりの猛暑の夏も終りに近づき虫のすだく音が心地よく聞こえてくるきょうこのごろ、毎年鳳仙花の花を見るたび、この失敗が心の戒めとして想い出される。このような教訓をたくさん与えてくれた子どもたち、今はどうしているだろうか。生活の自立ができたろうか。再会してお礼をいいたい気持ちである。

フレーベルも「人の教育」の中で、「ただ児童をよく観察し、注意すればよい。そうすれば子どもが自らあなた方に、その方法を教えるであろう」と。

子どもと共に成長する教師でありたいと念じつつ、現在は医大病院内訪問学級で、病弱児と楽しく学習できる幸せを感謝している毎日である。

(県立須賀川養護学校教諭)

 

祭りになると、人はにこやかに浮きたつように時をすごす。会津の祭りの人いきれとほこりの中でも、人々は集い、語らい、弁当をつつく。いささか赤ら顔になった若者達はおどけ、ふざけあう。さて、祭りのあとは……

小椋佳の歌に、祭りづくりの喧騒の中で、恋人がその興奮に背をむけて去っていく情景を歌ったものがある。興奮の中の思わぬ別れ………

祭りを終えてまた東京へ帰るという人と会った。久しぶりの出会いと別れは、その人にどんな思いをもたらしただろうか。疲れをかかえて職場へもどるその人の旅に、ひょっとすると、祭りとは昨日までの自分に訣別を告げる場なのかもしれないと思ったりした。

 

授業改造の工夫を

 

授業改造の工夫を

新妻信 一

 

久慈川の清流と美しい緑の山林に囲まれ、素朴で陽気な生徒と、若くて教育熱心な先生方が、学校長を中心とし、教育目標達成のため、一丸となって努力している塙工業高校の家族集団に仲間入りして五か月が過ぎようとしてい

 

 

 


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