教育福島0096号(1984年(S59)11月)-028page
しぶりに定期考査の監督として壇上に立った。さすがに全生徒が一心不乱に答案にむかって鉛筆を走らす。静寂の中のそのかすかな音が快く耳に転がる。
しかし、紙上を走っているのは鉛筆ではない。すべてが頭部を押すとその芯が出てくるいわゆるシャープペンシルである。
しかもよく見ると四十数名の生徒の一人ひとりが使っているものに同じものがない。めいめいがさまざまな形や色であって、まさに多様である。
多様化の時代と言われて久しいが、これもその一つの表れであろう。しかし、このような多様化をそのまま個性化とは言い切れないであろう。懐古趣味ではないが、むかしの鉛筆には、本当の個性があったように思う。
短くなっては削りながら芯を研ぎ出して使う鉛筆には、その長さや削り方に、刻まれた傷や削り出されて研ぎ出された芯の長さや太さなどに、個性が感じられたものである。いまはもうそのような鉛筆には滅多にお目にかかれない。更に、十分に筆圧をかけられないせいか、書かれる文字は一様に弱々しい図案化されたようなレタリング風のものが多く見られる。
どの筆記用具がよいか、にわかに断じ難いが、いまの生徒たちは他人と違った物を買いあさり、それらを身につけたり、使ったりすることが個性的と考えているのではなかろうかと思った。
人間は本来多様であること、そしてそれに基づく個性の意味するものを正しく理解させるとともに、時代や世相の変化にかかわらない不変の価値について洞察できる生徒を育てたいと思う。
(県立田島高等学校教頭)
ほんものの教師
佐々木 清
教壇に立って早くも三年目になろうとしています。毎日が思考錯誤の日々であり、また毎日が生徒とともに過ごす日々でもありました。そのような中で、心の教訓として思い続けてきた言葉があります。それは『進みである教師のみ、人を教うる権利あり』という、ヂステルェッセの言葉です。この言葉は、忙しくて教材研究が思うようにいかない時とか、疲れて机に向かいたくない時に、頭の髄から鳴り響き、自分のからだをどうにか奮い立たせてくれた、言わば私にとって教育実践への原動力となる言葉です。
ところで、三年目の「三」という数字は、「石の上にも三年」とか、「三日坊主」などのことわざからも推察されますように、人生の節目の数字でもあります。私も三年目を迎えた今、冒頭の心訓を教育の糧として教壇に立ってきたわけですが、私なりに、自分の抱いている教師観はこれでいいのか、改めなければならない点はないか、教師を続けていく資格があるのか、などと考えなければならない時期に来ているように思われます。
ちょうどそのような時、目に止まった本、それは国語教育の大家とも称される、大村はま著の『教えるということ』(共文社)です。一読して体が震えてきました。自分の教師に対する甘えが暴露され、ほんものの教師の姿を見せつけられました。それを本の文章を貸りて紹介し、考えたいと思います(
まず、教師の心構えについて「他の職業に比べ、学校の社会は、お互いに許しやすく甘えやすいので言いわけができ、ともすると自己の責任をとらず、生徒のせいにしてしまうことがある」と問題点を痛切に述べております。
例えば、生徒の学力の低迷を、授業力の未熟さに目を向けないで、「生徒の質が落ちている」などと、一言でかたづけてしまうことがないかと警告しています。
また、教師の資質として「あの先生は子供好きで、よく考えてくれるいい先生だ」などと言われると、自分があたかも教師として百点満点のような麻酔にかけられた境地になります。しかし、「いい人」「一所懸命やる」などというのはあたり前で、それよりもいかにその子どもに実力をつけてあげたかというのが問題だと指摘しています。
では、どのような心構えが必要なのでしょうか。大村先生は、日頃からの教材化を、そして必ず自分の目で、子どもを頭に置きながら身をもって捜せば生きた教材が見つかるというのです。また、研修によって職業人としての技術を磨けというのです。そして授業にあたる時は、上位生徒、中位生徒などと束にして指導してはならず、常に生徒一人一人を見る、言わば個を生かす授業をいつも念頭に置けといいます。そうすれば、教師の指導力のなさで伸び悩んでいる生徒も、心の奥底では一歩でも前進したくてたまらない希望に燃えている魂をよみがえらせることができ、また、研究の苦しみと喜びを知っている教師は、いつまでも生徒の立場になって考えられる生徒の友になれるというのです。つまり、ほんものの教師は、「自分で自分をたたくというような内省力が非常に強くないと勤められない」と言っております。
さて、自分にあてはめてみると、この二年間半、私なりに努力して来たつもりですが、大村先生の言う「ほんものの教師」は、私にとってまだまだ遠い存在でしかありません。自己研修が足りず、生徒に一人で生きていくための力を付けなければならない使命を、忘れかけていたような気がします。
私には、どれだけ教師としての資質があり、研究によってどれだけ子ども