教育福島0096号(1984年(S59)11月)-043page

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※ へき地教育一般功労者

・永山 徳二(いわき市川前・三和両地区小中学校校医)

 

※ へき地教育経営優良学校

・東白川郡鮫川村立渡瀬小学校

 

※ へき地教育功績顕著な団体

・大沼郡三島町立西方中学校父母と教師の会

 

※ 芸術功労者

・櫻井  誠(郡山市文化団体連絡協議会長)

 

※ 文化財保護功労者

・玉川 寿一(下郷町文化財保護審議会委員長)

 

※ 優良文化団体

・石川郡玉川村須釜民芸保存会

・相馬郡鹿島町文化財愛好会

 

※ 永年勤続者

勤続三十年という長期にわたり本県教育の発展のために御努力いただいた方は、小学校の教職員では二百五名の方々、中学校では百六十六名、県立学校では百三十名、教育庁では二十一名となっております。(表1)

これらの方々は、それぞれの分野で長い間学校教育に尽力なされ、その功績の一つ一つが現在の教育の大きな支えとなっています。これからも更に本県教育のために御奮斗いただき、後輩のために御指導を願いたいものです。

 

表1 永年勤続教職員 ()は20年勤続者

表1 永年勤続教職員 ()は20年勤続者

 

表1 永年勤続教職員 ()は20年勤続者

教育長より永年勤続を代表して表彰を受ける

 

永年勤続表彰者のひとこと

30年の歩みから

 

同僚の先生方の援助をうけながらなんとかここまでくることができ、しかも健康にも恵まれ生徒とともに無我夢中で過ごした三十年でした。ふりかえると社会の変遷、生活の変化、生徒の気質等話題にことかきません。本校は六つめの学校ですが、そこに勤務したという足跡を自分自身にも残すべくつとめてきました。珠算のこと学校林のこと、部活動、進路指導等精一杯努め、生徒とうちとけあっての活動は、心の糧とも自信にもなっています。

(塩川中学校教諭 伊東 圭一)

 

昭和二十三年戦後の混乱期に白河第一小学校に着任、角田誠一郎校長先生より「板書は教師の人格を表わす」等教師のあるべき姿について薫陶を受けたことが、三十六年間の私の教師生活のすべての基本になっている。昭和三十七年、四十三年には、全国小学校音楽研究大会の研究に全力を尽すなど常に子どもの将来の幸せを願いながら勤められた幸せに感慨無量のものがある。これまでにご指導ご援助下さった先輩諸兄の方々心から感謝申し上げたい。

(清明小校長富山栄一)

 

三十年をふりかえって印象深いことは、昭和五十五年教育課程が全面的に改訂され体育の運動内容がかわりました。その時、現在のいわき教育事務所の高木清先生の細かいアドバイスのもと推進委員長の大役をおおせつかり研究を進めました。当時の暗中模索の中、教育課程改訂にともなう年間指導計画をみて、各地から参加された先生方から喜こばれました。また文部大臣より学校表彰をうけたことは思い出深いことの一つです。

(小名浜西小学校教諭 永井 昌城)

 

三十年のうち十八年間を養護教育にたづさわってまいりました。この教育に入ったころと今とをくらべてみますと、社会の関心、教育の内容、施設設備等隔世の感があります。義務制への移行、国際障害者年での障害者教育への国際的関心と世論の高まり等があいまって、養護教育は新たな発展の時期に入ったと思います。同時に私たち教員の責任もそれだけ重くなったものと思い覚悟を新たにしております。

(郡山養護学校教諭 阿部  進)

 

最近思うのですが、若い先生方に「指導を待つ」という受け身が目立つと思います若い時は意欲をもって仕事をし、いきづまったり、仕事にかげりがみえた時は、先輩の先生方の着実な、一人一人を大事にする指導ぶりを大いに学んでほしいものです。研究会等も大切ですが、身近かな先輩の仕事ぶりも大いに研究し、子どもにぶつかっていってほしいものです。悩む姿が本当の教職の姿であり、力をつけることになると思います。

(原町第一中学校教頭 江井 芳郎)

 

 

 


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