教育福島0097号(1984年(S59)12月)-022page

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しでもうめることができれば、という願いを込めながら、四月に初めて教壇に立つと同時にスタートした「順子先生の英語教室」のファイルも大分厚くなって来ました。とかくむずかしいと抵抗を感じがちな英語を、少しでも楽しく勉強できるように、「本時の目標」を図解したり漫画化したりしたものを毎回授業で配ります。時には物語風にし、人形劇を併用して動機づけに努めました。バカにされるだろうと半信半疑で始めたのですが、結果は予想外に反響があり、皆でおなかを抱えながら授業を進めたこともあります。また、一斉授業の中での個別指導をねらいとし、わからない子は何回も説明を読みながらドリルをし、できる子はどんどん先の問題に進めるようにしています。そして、わからなくなったら、いつでもつまずいた所まで戻って、自分で復習できるように、毎時のプリントをファイルに保存させています。今の一年生が卒業する時は、自分達の作品やイラストが入った彼らだけのオリジナルの参考書が出来あがることを夢みて、一人一人の顔を思い浮かべながら、私は毎晩原稿作りに精を出します。「経験が浅く未熟な私にでも出来ることはないだろうか。初めての教え子に何か残してあげられるものはないだろうか」と始めた頃、「始めたこらには最後までやり抜きなさい。将来、自分の財産になるんだから」と陰ながら応援してくれる先生もいました。プリントがたまるにつれて、その言葉の意味がわかって来ました。三学年分作るのも苦にはならず、私自身楽しんでいます。そして、次の教材を楽しみに手伝いに来る生徒と話を弾ませながら、今日もプリントを綴じこみます。

始まったばかりの教師生活ではありますが、この七ケ月間で私はたくさんのことを学びました。初めのうちは何も見えず無我夢中でした。毎日、校舎中に響き渡るような大声で怒鳴っては、「また派手にやってしまった」と自責の念に駆られながら、職員室に戻ったものでした。子供の成長を長い目で見中ろうと頭ではわかっていても、実際にはどうしてもその場でわからせよう、良くさせようと一人で焦り、むきになっていました。一人一人は、皆素晴らしく豊かに実る可能性を秘めた種子なのに、ともすると悪い面ばかりに気を取られがちでした。聖書にもあるように毒麦を集めようとして良い麦まで抜こうとしている自分に気が付きませんでした。無償の愛を実践することはむずかしく、知らないうちにその場その場での見返りを求めていたのです。

しかし、いけないことはいけないと、身体をはって生徒に立ち向かいながら、厳しさと愛情をもって深くかかわっているうちに、だんだん私自身の心の眼も開いて来ました。全身全霊をかけて、彼らに体当たりするうちに、少しずつ子供の心が見えるようになりました。表面的にはどんなに裏切られようとも心の眼で彼らの真実の姿をみつめ、信じ続けたいと思います。情熱と真心で接して行けば、いっか私の誠意が通じると確信しています。本音でぶつかって、心と心がふれあった時、初めて教材も生き、真の授業が成立します。私はこのことを生徒の現実の姿から教えられました。そして、気がつくと、私はいつも生徒に助けられていたのです。悩んでいる時や困っている時は、そんな私を察して、必らず生徒がそばに来て、明るい笑顔で励ましてくれたり、多勢で仕事を手伝ってくれたりしました。授業中うるさくなると、顔をまっかにして周りの子を注意してくれる姿を見て、目頭が熱くなることもあります。子供たちの美しい心に触れるたびに、忘れかけていた大切なことが呼び起こされます。一人で気負わなくとも良いのです。生徒と心をあわせて、生徒と共に、一歩一歩前進して行きたいと思います。

(泉崎村立泉崎中学校教諭)

 

最近の子どもたちの遊びを見る時、概製品のプラモデルに始まり、人形、ゲーム機等、次から次へと流行の遊具を追い、瓦礫の山となっていく。そこには心のふれ合いや創造力、耐性など豊かな人間性を育むことが少ないと思う。

子どもたちは「物」を造ることが大好きである。

幼い手で、幼い創造性を生かしお互いが思いやりを持ちながら楽しく遊ぶひと時にも「手づくり」の教育の良さがでてくるのではないだろうか。

 

生徒と共に

 

生徒と共に

大木哲男

 

学生気分も抜けぬままこの職業につき、はや七ケ月が過ぎる。“住めば都”

 

学生気分も抜けぬままこの職業につき、はや七ケ月が過ぎる。“住めば都”

 

 

 


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