教育福島0097号(1984年(S59)12月)-027page
みはるばかりでした。そして同時に、教師としての第一歩を踏み出したことに確かな実感を覚えたのでした。
着任式当日、体育館に整然と列をなした生徒たちと初めて対面したとき、一人一人の「澄んだ瞳」と「熱い視線」にさらされ、これから始まろうとする教師としての責任の重大さを痛いほど感じさせられました。そして、この生徒たち一人一人の期待にこたえ得る教師になろうと決意したのでした。
新米教師である私に、生徒たちはよくなついてくれたと思います。授業や部活動を通して、身近に生徒たちと接しているうちに、彼らの実態が徐々にではあるが、見えはじめてきました。
学力不振からどうやって脱出しようかとあがいている姿、 「澄んだ瞳」の一点に見え隠れするかげり、深い心の傷を必死にいやそうと、幼い心で闘っている様子は、本当に痛々しく感じられるのです。
学力の伸び悩みや心に負った傷の原因のすべてが、彼ら自身にあったとはどうしても考えられないのです。むしろ、生徒たちを取りまく環境、つまり学校や家庭そのものに、あるいは誤った学力観など、それらの多くは大人の世界が負うべきものではないでしょうか。にもかかわらず、彼らはそれが自分自身のせいであるかのように信じ込んで悩み、心の内で闘っているのです。
このいちずな考え、純粋さが報われるときが来るまで、あらゆる手だてを講じながら、援助し続けることが、教師としての重要な職務であると自分に言い聞かせています。
とは言うものの、遷延と現実とのはざまは、そんなに浅いものではありません。
学習指導において、生徒一人一人の理解を深め、定着させることのむずかしさ、生徒指導にあっては、生徒たちの心を読み取り、個々の特性、能力に応じた適切な指導をすることの困難さなど、多々痛感させられることがありました。
自分では、それなりに、指導の成果をあげたと思い込んでいても、それらが生徒の身近な生活場面に生かされていないことを知り、自己満足していた自分に気づいては、自嘲したり、失望したりすることも少なくありませんでした。
このような状況の中で、折にふれて適切なご指導、ご助言をいただいたり時としては、温かく見守ってくださる学校長をはじめとして、有能で、親切な先輩の諸先生方には、常に感謝せずにはいられません。
また、本音で話しかけてくる生徒たちのひと言、ひと言が、問題解決の手だてに悩む私に、その対応策についていくつかの光芒を投げかけてくれるのです。試行錯誤の連続ではありますが、確実な手ごたえを感じつつ、一つ一つが明らかになって行く毎日は、本当に新鮮な気持ちになるものです。
現在、生徒たちを取りまく情勢は、決して安易なものではありません。時として生徒が持っている向上心や純粋な人間的心情を埋没させ、喪失させてしまうほど、荒廃している社会環境もあります。
このような中で、人間として向上しようとする生徒たちの意欲を深化、発展させ、相応の実現が果たせるように絶えず援助することができ、真の人間らしい心情を引き出してやれるような資質を身につけていきたいと考えています。そして、そのような私の願いを具現している先輩の先生方に、一日も早く追いつくために努力し続けることが、私の当面の課題であると受けとめています。
教師は、生徒をより高次な人格へと導く「苦悩者」だといわれます。私もまた、生徒が岐路にさしかかったときともに悩み、考え、模索する苦悩者でありたいと思います。
初心を忘れることなく、常に研修を積み、自らの資質向上に努力する覚悟です。そして、地域社会の人々の期待にこたえることのできる、「信頼される教師」となるよういっそう努力していきたいと思います。
(富岡町立富岡第二中学校教諭)
来年は丑年十二支の二番目で牛が主役の年である。
牛−−哺乳動物。草食で反銘する。耕作用、乳用、食用と人間にとって大いにありがたみのある動物である。そのせいか人間性活に引き合いに出されることが多い。牛歩、牛を馬に乗りかえる、牛にひかれて善光寺参り、牛は牛づれ馬は馬づれなどなど。
牛の歩みは遅い。しかし、力強く、静かな闘志を秘めているかのように悠然と歩む。
新採用一年目、四苦八苦の実践を続けている若い先生方、焦ることなく、丑三つ時に迷うことなく努力を続けていただきたいものである。