教育福島0097号(1984年(S59)12月)-040page

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「文化の日」公開シンポジウム

−創造の場・今−

 

県立美術館

 

県立美術館では、去る十一月三日出の「文化の日」に、美術館講堂において公開シンポジウムを開催しました。

このシンポジウムは、開館記念展第三部「現代東北美術の状況展」の関連事業として企画されたもので、「創造の場・今」をテーマに、地域性と創造活動とのかかわり、今日の美術状況に関する諸問題などについて、本展出品作家の発言を中心にしながら、一般参加者とも活発に意見を交換していただこうというものでした。出席者は次の通り。

 

(司会)

三木多聞(美術評論家)

(パネラー)

高山 登 (宮城教育大学助教授)

田辺和郎 (横浜市在住)

橋本 章 (伊達郡伊達町在住)

村上善男 (弘前大学教授)

 

当日、文化の日ということもあり、二百六十名を超える一般の参加者が会場をうずめ、予定された二時間半の中で、平面(美術表現における)の可能性について、東北という風土性の問題、現代芸術の課題、美術館建設ブームの問題、地方美術文化はどうあるべきか等、さまざまな論議が展開されました。

県立美術館では今後も、このような企画を通じて、作家と一般鑑賞者との対話の機会をもうけ、現代美術の理解を深めていただこうと考えております。

この紙面では、当公開シンポジウムの中から主な発言の要旨を紹介する。司会 近年、美術館が数多くできてきて、美術館活動というものが活発になってくると、展覧会を企画して見せるだけでなく、作る側と見る側との間にもう少しコミュニケーションがあってもいいのではないか、という意見が出てきております。その手段として、シンポジウムというものが考えられ、各地で試みられている。そういう意味からも、今日は皆様から活発な議論を出していただきたい。

 

東北の風土性とは何か

 

発言A 美術における東北の風土性とは何かと考えるのだが、お聞きしたい。司会 展覧会のタイトルが「現代東北美術の状況」だから、東北美術でないものとどう違うのかという発言は当然だと思う。しかし、こういう展覧会が企画される理由の中には、東北美術の特色というような風土性に根ざしたものを捜し出したいということでは必ずしもないようです。橋本さんは、ご自分を土着型だと判断なさっている。今の質問のように、風土性はあなたの中でどうなのかと問われたら、どのように答えられますか。

橋本 端的に言って、関係ないと思います。私がいう土着というのは、東北でも九州でもどこでもいい。現代の美術が個人内在のものを表わすというときに、風土というのは大した影響は持っていないと思う。

司会 アメリカやヨーロッパで仕事をしている作家が、周囲の人から君のは日本的だとよく言われるようです。自分としては、日本的な絵を描こうとしてやっているわけではないのだけれども。恐らく、今回の展覧会にも、全部がこうだという訳ではないが、ある人が見れば、なるほどこれは東北的だと言う人がいるかも知れない。言われたことについて、作家本人はそのつもりで描いています、というほど簡単に結びついている訳ではないと思います。

ただ、現代に生きる人間としてある創造活動をしている場合に、その人が

 

「公開シンポジウム」パネラー

「公開シンポジウム」パネラー

 

 

 


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