教育福島0098号(1985年(S60)01月)-023page
て、生徒同志はもちろん、教師と生徒の人間関係を深め合うよい機会となっている。
「練習に泣き試合に笑え」の合言葉のもとに放課後遅くまでする練習、冬季間のトレーニング、どれも教師にとっても生徒にとっても厳しいものである。しかし、一つの目標に向って全員が心を一つにして苦しみに耐え、勝利の栄冠を手にした時は生徒はもちろん教師も感激ひとしおであり、次の目標にむかってさらに前進する糧となるものである。また、敗退した時の悔しさは、この次は、とさらに一層の発奮をうながすものである。また、戦い終わって互いに健闘をたたえ合って得た友情のきずなは生活に潤いをもたせるものであり、このような思い出は経験した者のみが味わうことのできる最高の特権でもある。
いま、教師と生徒との間の対話や心の触れ合いが乏しく、尊敬と信頼に基づく人間関係が育てられないといわれている時、われわれに求められる一つに、生徒と一緒の時間をいかに増加させるかがある。われわれの日常は確かに多忙である。次々に何かに追われているようでもある。そのしわ寄せが生徒との触れ合いの時間の縮小になっているわけである。部活動を高めるための中心的な条件は、いかにして生徒と共に在る時間を多くするかにかかっている。若いうちは生徒より熱心な部活動の一員であり、終わらなければならない時のものさびしさは生徒以上でもあった。しかし年齢が高くなるにつけ、時間と労力とに一種の制約が生じつつある。「初心にかえる」を自分に言いきかせ、指導方法の工夫、練習時間に配慮を加えながら、部活動での生徒との出合いを大切にし、部活動が人間性豊かな生徒を育成する大きな役割を果たしていることを信じ、できるかぎり生徒と共に汗を流していきたいと思う。
(須賀川市立大東中学校教諭)
生涯学習に思う
清水 美代子
台所におく小型テレビのわきに、外来語辞典をたてかけておく。昭和五十六年四月一日発行・定価八百八十円のものである。
それは、最近のテレビキャスターは外来語を用いての情報伝達をする傾向にあり、わからないことが多いからすぐに引くためである。
辞典には増補ページもあるが、載っていないことが多く、その時はいらいらする。日本人なのだから美しい日本語で、多くの人にわかりやすく伝達すればよいのにと思うこともある。
しかし、なんといっても一番の解決策は、新版の辞典を買えばよいのであるが、いつも忘れてばかりいて今度こそはと思う繰り返しでいる。
この辞典は前述したように、三年ほど前の発行なのに、外来の新語が日に日に生まれ違和感なく用いられている現状では、フルに活用できなくなってしまっている。
よく、十年一昔と変わり方の速さをいうが、現状では三年一昔どころか、ものによっては一年一昔のものもあるという。このことを通して生涯学習の大切なことを強く考えさせられている。
いつだつたか、台所でテレビを背にし野菜を切っていた時のこと、「第五世代コンピューター」という言葉を耳にした。わからないのでさっそく近くの市立図書館に行き、「第五世代コンピューター」(エドワード・ファイケンパウム パメラ・マコーダック著、木村繁=訳)を借りて読んでみた。
飛ばし読みなので、皮相的な理解きりできないが、知識情報システム、つまり考えるコンピューターが第五世代のコンピューターだというのである。
コンピューターは使用する素子によって、第一世代(真空管)第二世代(トランジスタ)第三世代(集積回路)第四世代(超LSI)に分けられ、現在は第三世代から第四世代への移行期に位置しており、第五世代は(考える機械)で、機械は考えないという今までの固定観念を一蹴し、考える機械を一九九〇年代にむけて開発するのだという。
日本では世界の各国に先がけて、この研究開発組織を整え推進しているとのことである。
まったく科学技術の進歩のすばらしさには驚かされる。
また、文中に、『日本人たちは、知識を包装して売るつもりである』とショッキングな表現があったが、それは今後開発される第五世代の考えるコンピューターを指していることはいうまでもない。
だが、考えるコンピューターの開発に直接かかわりのない一般人にとっての「知識を包装して売る」ということは、どんなことなのだろうか。
資源に乏しい日本の生きる道は、知識を資源とするための努力だといわれている。知識を得るためには、学ぶ時期や方法等、いろいろあるだろうが、根底をなすものは意欲だと思う。
東京に住む五十歳の有職婦人が、生き生きとした表情で、「六十歳になったら大学に行って学ぶんだ」と話しているのをテレビで見た。うらやましく思った。
近くに住む友達は公民館の婦人学級に参加しているが、「学習に参加してよかった。これからも学習していきたい……」としみじみ話してくれた。
私も、より人間らしく生きるため、生涯努力をしていくつもりである。
(喜多方市在住主婦)