教育福島0098号(1985年(S60)01月)-024page
学ぶ
吉田 宏
某日、小生の勤務校の『百年誌』の原稿執筆で悪戦苦闘していたら、表題の原稿依頼が舞い込んで来た。それも小生には、どうみてもそぐいそうもないテーマで……。教職に就いて早二十年余を経過したとはいえ、至らない教師の悲しさで、教科指導はもとより、生徒および進路指導等についても、今だに試行錯誤の域を出ていない。
ただ幸いなことは、素晴らしい教育(職場)環境、つまり良き上司や先輩、同僚、それに生徒に恵まれているため、小生のごとき者でも、どうにか勤まっている、というのが実情である。かような訳で、確たる自信をもって表題の意図するところを書けないのが、誠に残念である。
たしかペスタロッチの言葉に、「教師は若ければ若いほどよい」と言ったものがあったように記憶している。若いということは、それだけで素晴らしい。ただし若いことが素晴らしいのは、身体的な若々しさもさることながら、何事に対しても失敗を恐れず、体当たりでぶつかってゆく勇気や情熱がある、と見なされるからであろう。
かつて上司だった校長先生が、職員会議の席上で、われわれ教員に向って「バカになれ」、「キチガイになれ」と訓示をされたことがある。当時は小生も都市地理、なかんずく都市の中枢管理機能についてのったない研究に没頭していただけに大いに感銘し、共感したものである。同時に、若き教師がひたむきに研究に打ち込んでいる姿は、言葉には出さなくとも生徒は必ずや理解を示してくれるものと信じ、そのことが取りも直さず立派な教育の実践である、と自負していた。今になって考えてみると、若気の至りとは言えなくもないが、自分ながらよくもがんばったものと、懐旧の念にかられる。
このように、小生のつたない経験を通して若い先生がたに望みたいことは、「学ぶ」という謙虚な態度である。とりわけ高校においては、教科や科目でそれなりの専門性が要求される。そうしたものに対処するに際して、大学で学んだ二、三年の専門的知識で容易に事足りえるはずがない。とはいうものの、生徒からはもとより、父兄、それに一般の人々からも"先生"と言われ、かつ生徒に対しては常に教えるという立場にあるため、つい何でも知っているような錯覚、いや思い上がりに落ち入りやすい。自ら覚ぶことをしないで、生徒にのみ学べ、と言うのは偽善であり、背信行為と言えなくもない。
今日、教育を取り巻く環境はことのほか厳しい。しかし若い教師が自らの課題を求めて積極的に学び、かつ意気と情熱を抱いて生徒に体当たりでぶつかるならば、教育の展望はおのずと開けるであろう。どうか自ら選んだかけがえのない教育という仕事に失敗をを恐れず、自発的、前向きに取り組んでほしい。
(県立安積高等学校教諭)
先輩の一言から
穂積 友大
私も教師生活を歩んで二十数年になるが、その年数の半分ずつが小学校と中学校である。
その間に、教師として必要な資質や、教育に対する考え方を身につけさせてくれたのが先輩の一言である。研修会でいただいた話や、同僚の先生方の話の中にもたくさん感銘をうける言葉があった。経験が少なく難題に直面して悩んでいる時の先輩の一言は忘れられない。それが難題の解決策になっているのである。
例えば
○「先生のクラスだけが消火バケツの取手が東側になっていますよ」
○「新聞の切り抜きを掲示するのなら他の学級分も準備するように」
○「本校では、校務分掌に最善をつくすように」
○「小学校では、中学年の指導が容易でない。目の輝きがなくなるような育て方はしないように」
○「小学校の担任をすると、子どもたちはすぐに寄ってくる。それだけに、早く子どもの個性をとらえて対応しなければならない」などである。何ら変哲もない日常耳にする言葉でる。しかし教師の経験も残く、教師しての力量もない私にとってはすばしい助言であった。教師として生きいく「構え」を身につけるような意が秘められているのである。
消火バケツの取手が逆とか、新聞の切り抜きを全学級分準備するとかはさ細なことである。学級経営が画一化され、しかも、教師の創造性が無視されると反発したり、憤慨したりすることが度々であった。
しかし、大規模校では、先生方の意志の疎通をはかったり、学年体制で物事を処理したりする大切さを教えられたのである。これらを基盤として、創造性を発揮し個性ある学級経営に励むよう悟らさせられた。
また、校務分掌にしても、学習指導に片寄りがちな姿を見て、自覚を促し