教育福島0098号(1985年(S60)01月)-026page
誠実・実行
後藤 幸雄
毎年個性豊かな若い新任教師が迎えられ、それぞれが期待に応え感動のある教育活動を展開している。
今年度本校に迎えた先生も、文部省指定研究に意欲的に取り組み、我をも忘れ頑張ってきた。昨年十一月の学級会活動の授業公開では、開始直前に進行と副司会の子どもが喧嘩をして、副司会が多数の参観者の居る中で机に顔を伏せたまま過ごし、先生を困らせるというハプニングが起きた。
その時のことを「自分のことばかり考え、心の中で泣き、子どものことを考えるゆとりがなかった」と嘆き、また「見えない子どもの心の傷に気付かなかった」と、先生は話していた。
数年前のことである。「教頭先生、S先生泣いている」と数名の子どもが職員室に飛び込んできた。新任のS先生を迎えて一か月日ごろであった。
教室へ行ってみると、算数の時間であったが、子どもたちは喧嘩をし、走り回るなど大騒ぎであった。S先生は自分の力不足に悲しみ泣いている。こんな場面が何度かあり、校長と交互に教室訪問と指導に当った。
後半は、学級も落着き、二年目にはすっかり変わり、子どもたちや父母からの信頼も得られるようになった。
S先生は教職員研究物展示会に、その間の指導の記録をまとめ研究物として出品し、賞賛を得た。
その時私は、S先生の大きな成長と自信に満ちた姿を見る思いであった。
私が新任教師として阿武隈山地の小さな小学校に赴任したのは、昭和三十三年であるから、かれこれ三十年になる。想い出多いその小学校は、今年度限りで閉校になると聞き、十月のある日、久し振りに訪れ、懐かしんできた。
山合いの県道から横に急な坂道を登ると校門があり、大きな樫の木が天高く聳えている。校舎、体育館も昔のままであった。文化祭参加の合唱練習の美しい声が聞こえてきた。
教頭先生の案内で、当時三年間過ごした各教室や特別教室、そして体育館と回った。体育館では、新任の挨拶でステージに立った当時の自分と子どもの姿を想い浮かべた。
私にとっても新任当時は、無我夢中で自分の能力不足に涙した日も多かったが、今はヴェールに被われ、理解ある先生方やPTA、純真な子どもたちのたくましい姿だけが想い出される。
当時は教育委員会の組織的な新任研修も無く、一人困難に悩むことも多かったが、終始私の姿勢を支えてきたものは何であっただろうか。それは、「子どもの限りない可能性の伸長」であり、職務遂行にあたっての「誠実・実行」ではなかっただろうか。悩みが大きければそれだけ解決したときの喜びは大きいものであった。
希望に胸ふくらませ、教職生活に入った新任の先生方は、最初の出合いから、この子どもたちのためにと、抱負と使命感を抱いた筈である。初心を忘れず困難に打ち克って頑張ってほしい。
公教育に携わる先生方の責任は大きいものである。誠実かつ公正に職務を執行するという宣誓の言葉を忘れず、教育愛に燃え、常に研修に励み、二十一世紀を担う人間性豊かな子どもの教育に専念していただきたい。
専門職に相応しく職員会や打ち合わせなどでは発言すべきは発言し、十分論ずべきであるが、一旦方針が決定したら、自分の考えに合わないことがあっても協力実践することが組織体として大切なことである。
学級経営も授業実践も、学校全体としての教育方針を踏まえて行っていくべきである。個人として熱意があっても、一人一人がバラバラ勝手では、全体としての信頼を失うことになる。実践的研究で成果を挙げている学校は全教師が協力和合の精神で一致し取り組んでいるところである。
新任教師のもつ若さは魅力であるがそれだけでは、いつかは色褪せていくものである。本物の魅力は、広い教養、豊かな人間性、充実した指導力などが加わったものであることを肝に銘じ、日々研修に精進してほしい。
初心忘れず、子どものために努力を惜しまず頑張られることを期待したい。
(保原町立保原小学校教頭)
地域の中で
太田悦子
私は今春、全校生四十三名の小さな小学校へ赴任した。
着任して一か月後の五月上旬、小学校を中心に全部落あげての運動会が行われた。各種団体が参加しているので競技種目も種々雑多であったが、やはり呼び物は、小学生による紅白リレーであった。全校生が選手だから親も子も本気である。やる前から去年はどうだったの、今年はどうなるのと話題が集中した。ところがここに、少し心配の種があった。一年生の男子に発育が全般的に遅れ、ひとりで決められたコースを走るのがやや困難な子がいた。また、たとえコースをきちんと走ったにしても他児よりかなり遅れるのは目