教育福島0098号(1985年(S60)01月)-027page
に見えていた。学級担任は、走り方の練習をさせたり、スタートの位置を考慮するなど工夫しながら指導していた。何回かの練習により、何とか彼がどの位置より走れば競走として成立するか予想もつくようになった。ところが当日、いつも負けてばかりいたはずの彼のチームが彼の思わぬ懸命な走りにより、かなりの差をつけて勝ってしまったのである。担任はもとより、学校中がこの予想外のできごとに驚いたり、喜んだりした。反面、負けチームから、「ずるい」とか「あんなに近くから走るのだから勝つのはあたりまえだ」とかいうような反応がでるだろうと予想した。ところがそれに類するような冷ややかな反応は、子どもたちからも大人たちからも全くでてこなかった。むしろ彼が決められたコースをゆっくりではあるが一人で正しく走られるようになった驚きや賞賛の声を聞くことができた。孫を本校に通わせているおじいさんが、「きょうの運動会は気持ちよがったな。Sはじょうずに走ったし、Sのことを上級生も同級生もよく面倒を見ていたし、本当に涙が出そうになった……」と、わざわざ私のところへきて話してくれた。私は嬉しさ以上にすばらしさを感じた。実際子どもたちは、教師の指示がなくても実によくSの面倒を見ていた。しかも、このことを見逃さず見守っていてくれた老人…。
夏休み、本校の児童たちは育成会主催の球技大会に参加した。その時引率したり、応援したりしていた父兄たちの行動を見ると、父兄同志はもちろん、子どもたちにも親しい話しかけを盛んにしていた。子どもたちも大人の人たちへ遠慮なしに喜々落々と応答していた。私はその姿を見て、あの時の老人の話しかけの中に地域の人たちの物の見方、考え方がみごとに象徴されていると思った。
本校の存する地域は、いわゆるへき地と呼ばれる地域で戸数が少ない。そのため、部落全体が家族的雰囲気で作られ、大人と子どもの結びつきが密接である。したがって、お互いが何でも話し合える和やかな人間関係が存在している。本来、子どもたちはまだ人間として未成熟である。そのためどうしても大人たちより何事もまわりの影響を受け易い。ましてや地域の環境は子どもたちへの影響力としては大である。したがって、お互いに普段から地域住民が連帯感をもち、どの子にも我が子を見る目と同じ暖い目で見守ってくれる人が多ければ、地域の中から健康な人格を持った人間が多く誕生していくと思う。
地域の人たちの持つ暖い人間関係を軸にして、本校独得の教育環境である同学年集団による平等性を尊重し、かつ、異学年集団によって培われる人間性を大事にしながら、子ども一人一人の人格を生かした生徒指導を地域の人たちと手をとり合って続けていきたいと思う。 (会津若松市立原小学校教頭)
心のふれ合いを
荒井学
かつて勤務した中学校の同級会の席である。当時あまり目立たなかったA君が卒業記念として配布した冊子「中学生活の思い出・班日誌」を大切に手にしながらこんなことを言ってくれた。「中学校の思い出と言うと何と言っても学級での活動のことです。運動の得意でない私にとっては、学級新聞づくりに苦労したことや、班日誌が書ききれずに家へ持ち帰り十二時近くまでかかって書いたこともありました。しかし、友だちの書いたものを読んだり、先生の返信を読むのがとても楽しみでした。……」と。
私は、考えることがあって学級経営に力を入れはじめたのがA君を担任した頃でした。それまでは通り一遍の学活をすませると足早に部活動へ、自分の学級の経営は極めて手薄だった。そんな折、私の学級で頻繁に欠席するA君がいた。理由を聞くと「学級がおもしろくない」と言い、私には心を打ち明けてくれなかった。ほとほと困りはてて先輩の先生に相談したり、生徒たちと話し合いをするなかで、生徒の一人一人がもっと学級の中での存在感が持てるようにすること。さらに、学級でもっと生徒相互、教師との対話を図ることが大切であることから、学級での係り活動(係り活動班=生活班)の活発化と班日誌による対話を試みることにした。特に、班日誌では班員が輪番で班活動の記録と合わせて雑感を書かせ、班内及び教師との対話を考えた。最初は「あまりよくできなかった」程度で幼稚なものであったが、私の方で負けじと赤ペンで書き入れていくうち、生徒も同調し、雑感の部分でものびのびと書いてくれるようになった。欠席の多かったA君も日誌を通して心を開いてくれたことも事実である。
そのA君の雑感の部分を二、三あげてみる。
●今日の体育の時間、男女一緒にフォークダンスをやりました。けっこう楽しくやりました。そうそう、B君がこんなことを言っていました。「いつもは女の子に強いおれでも、こんなときはかなわないなあ」と。そしてこのときとばかり女の子の手をギュツ。今度の文化祭のフォークダンスのときはとても楽しいだろうなあ、待ちどおしいです。
●妹が髪を切ってきました。四十〜五十センチあった髪を切ってきて?の形