教育福島0100号(1985年(S60)04月)-006page

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提言

 

心の転換

 

国立磐梯青年の家所長

 

国立磐梯青年の家所長

馬場 新夫

 

【筆者紹介】

馬場 新夫・ばば あらお

大正十二年、福島県南会津郡只見町に生まれる。昭和十九年九月、東京第一師範(現東京学芸大)卒業

昭和十九年、公立学校教員、昭和三十五年、東京都教育委員会へ昭和四十一年、オリンピック記念青少年総合センター研修課長、指導課長、指導主幹、運営部長、昭和五十五年、国立青少年総合センター主幹、昭和五十六年、国立三瓶青年の家所長、昭和五十九年十二月国立磐梯青年の家所長

専攻は、青少年教育、社会教育を主とし、特に日本青年海外派遣団や、日本青年の船等の団長や主任教官をつとめ、日本青友会(海外派遣OB会)日本青年の船の会等の世話役として活躍、青少年の国際交流に力を入れる。一方、昭和四十三年より、オリンピック青少年センター

(現国立青少年センター)に社会人研修村を発足させ、新入社員研修の開発をした。

 

最近、発想の転換という言葉をよく耳にする。実は私もここ数年、発想の転換を口にしている一人でもある。

発想とは、思いつきであり、転換とは置き換えること、すなわち方針や方向を変えることであり、一口に言って考え方の方向転換である。

 

今の社会を見る時、社会全体の発想を転換しない限り改善できないことがらが大変に多いというのが大方の見方ではなかろうか。

このごろの新聞を見ても、青少年の非行、校内暴力、家庭内暴力等の報導がまだまだ目につくし社会的にも、まだ解決を見ないグリコ・森永事件等と複雑な広がりを見せてきた昨今の世の中には胸を痛めている人が多いことと思う。

こんな社会にだれがした、と言いたいのは私だけではないと思う。そこに発想の転換、すなわち切り替えが必要だと思うのである。

しかし、いくら発想を転換しても、.発想する人、そして実行する人がお互いにその気になって、心の転換を図らなければ「絵に描いた餅」であって、世の中のためには何も期待できないということである。

おれの物はおれの物、人の物もおれの物的考え方や、いただける物は何んでもいただいておきたいという恥も外聞もない社会、

 

 

 


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