教育福島0100号(1985年(S60)04月)-007page
その上、責任は他人におしつけてしまう。こんな考え方が横行している限り、いくら発想を転換しても社会はよくならない。
そこで私は、一人一人の“心の転換”を提言したい。世の中は他人がよくするものではない。自分から進んでよくしょうとする心が大切であり、そこから住みよい社会がつくられていくものである。
青少年建全育成をいくら唱えても、それを取り巻く社会、なかんずく大人が自分の身になって“心の転換”を発想しない限り実現は困難であろう。
国に臨時教育審議会が設置されて、教育の改革について審議が進められている。しかし、いくらよい教育制度に改革されても、それを守り育てる心、これが大切なのであって、 「私の子供は別だ」と考える世の中が続く限り、真の教育改革は期待できないだろうし、また世の中もよくならないだろう。
全国民一丸となって実行する心、協力する心、奉仕する心、人の子供も自分の子供と同じくはめる心、悪い時にはしかる心をもつこと、これが教育改革の原点ではないだろうか。
学校の責任、家庭の責任、社会の責任を問う前に、お互いに「私の責任です」と素直に反省する心がなくては、教育はもちろん、学校も家庭も社会もよくはならない。そこに“心の転換”が求められているのであり、これからの教育に課せられた課題でもあると思う。
国立磐梯青年の家