教育福島0100号(1985年(S60)04月)-021page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

「教育福島」誌100の歩み

−“月報”から「教育福島」まで−

 

「教育委員会月報」から「教育福島」まで

「教育委員会月報」から「教育福島」まで

 

県教育委員会の広報紙「教育福島」は本号(昭和六十年四・五月号)をもって百号となりました。

 

現在の本誌は、カラーページによる学校教育の諸活動の写真紹介、県内教職員の方々の随想といった日々の教育実践から得られた教育雑感的な文章等親しみやすさをもったぺージ、教育庁各課の重点施策を中心とした特集のページ等と現場の教育活動に役立つものを目指すなどいろいろと工夫を重ねております。このような現在の体裁、発行形態になるまでは、さまざまな紆余曲折があり、またその歴史が本誌の現在を支えているともいえます。

「教育福島」となってからの百号、それ以前の「教育時報」 「教育日報」といった広報誌の歩みをたどってみるのも、本県教育の歩みをふり返る意味で大事なことではないかと思います。

 

<教育委員会広報誌の歩み>

一、「福島県教育委員会月報」

 

「月報」は戦後間もない昭和二十四年七月に創刊された。

その内容は、小野左恭教育長の挨拶、教育委員の紹介、重要通牒の紹介、法制解説、教育参考資料の他、大局的な見地からの教育論、そして戦後民主主義教育の現場に役立つ実践論と盛りだくさんであった。また、附録として、「週五日の授業制は如何に運営されているか」の調査報告が掲載されているのも注目される。それに当時の社会状況を反映して、福島軍政部民間教育部の吉岡信夫氏が祝辞を寄せている。

発行所は福島県教育委員会事務局調査課(後に教育研究所へ移管)であり、編集責任者は同課長佐藤勝海氏、編集作業には同課年報・月報資料記録係があたっていた。B五判、活版印刷の縦組みであった。

創刊号以降「月報」は、ほぼ一貫した編集方針を維持し、それは現在の「教育福島」の編集方針の土台となっている。例えば昭和三十七年度の特集の組み方は次のようである。

 

〈特集〉

四・五月号 学校行事の精選運営

六月号 学力の向上

七・八月号 夏休み中の生活指導

九月号 教師の研修

十月号 スポーツの振興と体位の向上

十一月号 教育文化の高揚

十二月号 科学技術教育の振興

一月号 施設設備の充実

二・三月号 昭和三十七年度をかえりみて

 

この特集のテーマをみても本県の教育問題や課題は現在に至るまで引き継がれ改善への努力が続けられているこ「教育委員会月報」から「教育福島」まで

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。