教育福島0100号(1985年(S60)04月)-025page

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一生懸命

吉成公彦

 

ごとも急がず、今、自分ができることを一生懸命やっていこうと決心しました。

 

昭和三十七年八月二十四日のお昼頃、私は二度目の人生を歩き始めました。多くの人々に助けられ死の淵からよみがえり、たしかな足どりで歩き始めたのです。尿管結石の摘出手術を受けたのが二十二日、血液中の繊維素不足とかで、出血多量で人事不省に陥り、約七千CCの輸血を受け、意識不明の四日間、天国(地獄?)のお花畑を見てきたわけです。私は二度目の人生を神から授けられたものと考え、何ごとも急がず、今、自分ができることを一生懸命やっていこうと決心しました。

 

「一生懸命」であることは、かならず人の心に響くものであると確信しています。人の世の常として、他人の足をひっぱり、己の満足のみを求める人々がいることは事実です。しかし、少なくとも、教育の世界に身をおき、十二歳から十五歳の少年達に、明日の夢を描かせ、その夢がいくらかでも現実のものとなるように努力しなさい、と言い続けてきている私自身が一生懸命でありたいと思うわけです。

今のときを大切にし、どんなつまらないことでも、自分ができること、なすべきことを一生懸命成し遂げていけば、必ず自分の目指すところに到達できるはずである……とも。到達し得ないと思えたとしても、到達していないのは今であって、いつかはかならず到達できるはずです。よしんば到達不可能な状態になったとしても、そこまでの道のりと、そこまで歩き続けた努力とが、人間にとって、計り知れないかけがえのない何かを必ずもたらすものと思います。

 

部活動の指導でかく汗、生徒達と一緒になって興奮している対抗試合で流す涙、そのとき彼等の心に何かを残し得たはずです。何であるかはわからないが、人生の一ぺージに何かが書き加えられたはずです。私が一生懸命であったとしたら。生徒達が学校の行事に真剣に取り組む姿にはまぶしいものがある。その姿からは、最近とり沙汰されている「いじめっ子」のかけらすら見えることができない。

教師も人間であり勤労者であるから、無定量の勤務などはあり得ない。しかし、勤務時間の中で、あと十分生徒達と接する(遊ぶ)時間を多くできれば、生徒のためにあと十分退勤時間を遅くすることができれば、学校に見られる問題行動の何割かを減らすことができるのではないでしょうか。その、あと十分という考えがこわいと言われる方もおられる。

しかし、問題が発生してから、あたふたと後からついていくのはみじめではないでしょうか。一生懸命やることにより、生徒達の中から浄化作用をおこさせ、生徒達の真心が学校をうめつくすようになったら、どんなに楽しい学校になることだろうと思います。そのために、つまらないと思われることでも一生懸命やり、あと十分、生徒達とお話をしたいのです。しかし、忙しい。忙しいと思うことは小(心)を亡くすることとか。一生懸命やろう!

(郡山市立郡山第二中学校教諭)

 

はばたけ(海猫・いわき市薄磯海岸)

はばたけ(海猫・いわき市薄磯海岸)

 

ふれ合い

高橋洋子

 

録を読む時、そして私が返事を書く時、学級担任をしている喜びをかみしめる。

 

子育てに苦労したころ、健康がすぐれなかったころ、何度か退職を考えながらなかなか踏み切れなかった。それは生徒たちとの接触のなかで、教師だから味わえる喜びを失いたくなかったせいかもしれない。うまくできた授業のあとの手ごたえを感じるとき、しかった効果をその後の行動にみるとき、真剣にとりくむ表情に出合うとき、なかでも班ノートを読むときが一番楽しい。十分な対話の時間がとれないから紙面でという私の思いに答えてくれる記録を読む時、そして私が返事を書く時、学級担任をしている喜びをかみしめる。

ピピピーという鳴き声で鉛筆が止まった。グランドの向こうの林からだ。ようやく春なんだなあと心がはずんできた。空が明かるい色になり、林の色も少し変ってきたようだ。きのうの数学の時間のことだ。先生は気づかなかったようだ。授業はずっと続いていた

 

 

 


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