教育福島0100号(1985年(S60)04月)-028page
国際青年年に想う
山県重信
長い年月を農村で生活していると、世相の変遷にともない、かって存在した部分的村落共同体が崩壊しているのに気づく。
私が子どものころ「茶碗のふちを箸でたたくと貧乏神がやってくる」とか、「盛った飯に一本箸を立てると死者の枕飯で縁起がわるい」といい、「赤飯に味噌汁をかけて食べると嫁にいくとき雨がふる」とか、食習慣としつけを毎日の食卓で教えこまれた。
戦後まで続いた村の入会地は、共同体の財産として村人の共同作業で維持し、共に苦楽を語り合う場にもなっていたが、いまでは開発業者の手に渡り何も残っていない。
農作業の「結」は、農村社会の互助組織として労力を交換し助け合ったが、いまは近代化、機械化の前に田植行事や田植歌も忘れられようとしている。
信仰的な講も、五穀豊穣を祈る古峰原参いりや、安産の神を祀った十九夜講など、生活とかかわりあった民俗的行事は影をひそめた。この民俗的行事は農村の生活経験や生活の知恵から生まれ、その体験や教育的価値は、共同体を維持発展させ、そこに社会の永続的願いがこめられていたのである。
日本の都市社会や農村社会の特質は、さまざまな地域性をもっているとはいえ、一つの共同体社会がもっていた教育文化財や互助組織は、社会集団の中で一つの役割をはたしてきた。
しかし、時代の推移と社会情勢の変化にしたがって、共同体社会そのものが変質、解体させられ、いまのこっている民俗的行事は、派手な通過儀礼としての結婚式と葬式の鍬柄忌講ぐらいではなかろうか。結婚式も披露宴での立役者は、新夫妻とその関係する機能集団が主役になってしまった。
戦後は民主主義の社会になり、人格の尊重と個人の自由の保障が進展し、科学知識の蓄積と科学技術の発達が価値意識をかえ、社会のありようと政治のしくみをもかえた。
家がもっていた複合的機能は、現代社会の保育所、学校、企業、病院などに転移してしまった。家族は近親者が人格的結合と感情的融合にもとづいて家計を維持発展させるが、複合家族から核家族へと形態もかわり、伝統的家庭教育は過去のものとなっている。
経済上では生産力の飛躍的発展による大量生産、大量消費、車社会の時代を迎え、勤倹節約の美徳はうすれてしまった。
教育上では高校、大学と進学率の上昇によって教育水準がたかまり大衆化し、質の高い労働力は高度成長の発展に寄与した。しかし、青少年の多くは自分の好きなように暮し、新聞すら読まなくなり生活は断片的になった。
自分中心主義の生き方、社会的なものへの無関心、消極生、異質なものへの閉鎖的傾向が指摘され現実に生徒と接しながら、それを感じることしばしばである。この現象は社会が豊かになったためであろう。以前はわずかの暇を惜しんでは働き「仕事中心」の生活であったことを思うと隔世の感がある。
現代社会は高度に消費化された大衆社会、技術革新の時代、複雑化するニューメデア社会に青少年は生きていかねばならない。そして、私たち教師からみれば、激動の社会によりょく生きるために人間の情熱とか、目的意識とか、正義感などの精神的側面を充実させなければならない。
幸い今年は国際青年年である。この機会に青少年のありようをもっと深く堀り下げてみたいと思う。
(県立白河女子高等学校教諭)
◆始めよう今、見つめよう未来
今年は、「参加・開発・平和」をテーマとする“国際青年年”です。一人ひとりの青年が自分の住む世界に関心を示し、未来を展望する中でまず身近なところがら社会参加の行動を起こしましょう。
本県では、二十三の青少年団体が中心となって県国際青年年事業実行委員会を組織し、多彩な記念事業を展開することにしています。
〈福島県国際青年年フェスティバル〉
◆五月十一日 前夜祭−ふるさとの祭り、民俗芸能などによる福島市内パレード−
◆五月十二日 記念集会・県文化センター(アグネスチャンをメーンゲストに講演会、パネルディスカッション、コンサート、青少年団体活動紹介コーナーなど)
〈外国青年との交流研修〉
◆八月二十三日〜二十五日 外国青年四十名、県内青年八十名による合同キャンプ(北塩原村、いわき市の二カ所で実施)
〈持続的な地域づくりのための運動〉
◆運動月間を設け、各地域で青少年団体による多様な社会参加運動を展開するほか、統一運動としてアフリカ飢餓救済キャンペーン、献血、地域環境美化運動を実施する。
(県民だよりより転載)