教育福島0100号(1985年(S60)04月)-030page

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随想

 

価することがあるが、たぶんに二人の先輩は、言葉づかいからして郷土色を強く感ずる人柄だけに、自分が転任してその地を離れると一層の郷愁をそそるのである。とくに、K先生の住んでいるところは、上戸トンネルを通りぬけて、磐梯山を北に眺望し、西に猪苗代湖、東に川桁断層の山が連らなる風光明美なところで、まちに育った自分にとって、新任地なだけに懐しさを感ずるのである。

そして、しばしば自分の脳裏をかすめることは、まったく面識のないこの二人の先生に出会いの機会をとりもってみたいと思うことである。年齢的にも同時代であるし、きっと会ったとたんに気が合い、酒をくみ交わしている内、夜の夜中まで、あけっぴろげな話が続き、その出会いをお互いに喜んでくれるのではと思うのである。

 

たぶんに、自分ひとりのまったくの感傷的なことになってしまったのは、M先生は昨年、K先生はこの三月、四十年に近い教職生活を定年近くして退職されたからである。そして何より子どもとのふれ合いを大切にした献身ぶりと、職場にあって我々後輩を家族ぐるみで世話してくれたその感謝の念にかられて筆をとった次第である。

(三春町立御木沢小学校教頭)

 

一年一昔

根本晋一

 

先日、私もやっと、ワープロ(デスクワード)を購入しました。

 

先日、私もやっと、ワープロ(デスクワード)を購入しました。

長い間、欲しいと思いつつ、購入の決断がつかなかったのです。高価であること、目が心細くなってきたことなどの理由からですが、近隣の先生がたが、ワープロで、どんどん文書を作成している状況を見て、一大決心をして手に入れた次第です。近い将来、ワープロによる印刷物が一般的になるであろう見通しからでもあります。

蛍光灯を明るくして、印刷の練習を始めましたが、組みこまれたコンピューターの威力で、手書き同様、自由自在に、活字様印刷物ができ上がるのには、全く恐れ入りました。

私の三十年を越す教員生活の中でも印刷機器の進歩は、最も驚くべきものの一つであると思います。

原紙、鉄筆、ガリ版=ファツクス=電子複写機=和文タイプライター=ワードプロセッサー……なかでも、ガリ版印刷時代は、私の教員生活では、最も長く、なつかしい時代であったように思います。教員になった当時は、ムヤミヤタラにガリきりをやったものです。不愉快な音を立てて……。ベテランの先生の音は、カリカリと軽央だったことをまだ記憶しています。

小学校勤務の頃は、放課後、印刷室での仕事の時間が、学年打ち合わせ、生徒指導、雑談の楽しい一時でした。

一人がローラーを持ち 一人が紙をめくり、一人が整理する。学年全員が集まって、全学級分を刷り上げる。井戸端会議同様楽しくも勉強になったように思います。

 

私のガリ歴では、昭和三十四・五年頃、N一中でN先生に指導を受けたことが転機であったようです。ベテランのきれいな印刷物と新米の印刷物の差は歴然で、誰の印刷物かすぐわかってしまう程でありました。

N先生自身の考案になる傾斜のついたガリ板台、絹張りのない木枠だけの謄写板、天井からつり下げたゴムの力で反転し、一人で一分間に百枚から百五十枚程度のスピードですり上げ、更に、バサッバサッと生きた紙でも扱うような紙さばき。その仕上りの見事であったこと、今も目に鮮かです。

N先生の指導で、当時の若い先生方は一生懸命練習し、孔版印刷のベテランになっていったようです。

「千枚きれば一人前」「他人の技術は盗め」などと、カリカリと音を競ったものです。

 

絶対に職員室から姿を消さないであろうと思っていた鉄筆やガリ版は、骨董品と化す時代となり、とうてい手にできないと思っていたワープロが、今や私の机上にも置かれるようになりました。

先端技術の進歩が、職員室の様相も変えていくのです。ワープロが紹介されてから予想以上に速い進歩に驚いています。

でき上がったきれいな活字様印刷物を見て、十年一昔、いや一年一昔の思いに浸っています。

ガリきり時代にできた中指のマメは柔かで、殆んどなくなっています。

(いわき市立永井中学校長)

 

にがお絵もかくパソコン

にがお絵もかくパソコン

 

 

 


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