教育福島0102号(1985年(S60)07月)-045page

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博物館だより

大志観音堂木造聖観音菩薩立像仏像調査ノートから

大志観音堂は、大沼郡金山町大志の小高い山の上にある。この堂の本尊である聖観音菩薩立像が、先年、本宮町菅野俊勝氏によって修理された。その際、この像について詳しく調査し得たので、ここに紹介するとともに修理時に発見された像内の墨書銘についても紹介してみたい。

聖観音菩薩立像は、像高が五四・三センチメートル、髻頂し顎が一六・○センチメートルである。垂髻を結い、左手に蓮華をもち、右手は胸前にあげ五指をのばし施無畏印を結ぶ聖観音に通例の印相を示している。そして右足を少し浮かして立っている。構造は、

頭部を一材で彫出し、頭頂より両頬を通る線で面部を割り矧ぎ、玉眼を嵌入する(両眼に水晶をはめこみ、現実的な眼の表現をとる)。そして三道下で体幹部に差し込んでいる。体幹部は、一材で彫出し、肩上より体側を通る線で前後に割り矧いでいる。両腕は、それぞれ肩部に矧ぐ。現在、像表面には錆漆(漆に砥の粉を混ぜたもの)を塗っている。修理前には、これらの矧寄がはずれたり緩んだりしていた。今回の修理では、一度解体して、各矧寄を漆で接合した。そのとき、像内頭部及び体幹部にそれぞれ墨書銘が発見され、頭部内には、享保十一午歳

▲木造聖観音菩薩立像1寄木造、玉眼嵌λ、錆漆地)

▲木造聖観音菩薩立像1寄木造、玉眼嵌λ、錆漆地)

▲子安観音堂本尊の頭部を解体したもの

▲子安観音堂本尊の頭部を解体したもの

定朝作再興佛師長瀬丹治

七月十日□□□指とあり、体幹部にもほぼ同様の内容の銘が記されている。「再興」という字が見えるところがら、この銘は享保十一年(一七二六)の修覆時のものであることがわかる。このときの修理がどの程度のものであったのか、詳しい記録もないので明確なところはわからない。しかし像を子細に調べると、ある程度推察することができる。すなわち後補の部分を見ていくと、首以下がほとんど後世の補作であることがわかる。そうすると確実に造立当初の姿を伝えているところは、頭部のみとなる。頭部も、享保十一年に修理されているが、宝冠を除いて原容は保持されている。垂髻は高く、頭髪は一本一本丁寧に刻まれ、やや面長な顔貌に上◆の線は多少アクセントをつけ、両頬の肉付もひきしまり、神経の行き届いた作風をもっている。この頭部は、南北朝時代の造立と考えられる。今回の修理によって、この像は、江戸時代に一回大きな修理が加えられていることがわかった。六百年余を経て、頭部のみとはいえ、造立当初の面影を今日に伝えている。江戸時代や今回のような修理がなければ、この像は早くに失われていたかも知れない。


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