教育福島0103号(1985年(S60)08月)-049page

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ふるさと探訪

県指定重要文化財(絵画)

蘭亭曲水図 一幅

ころ、二点の「蘭亭曲水(らんていきょくすい)」を描いたことがわかっている。

伊達郡保原町出身の熊坂適山は、寛政八年(一七九六)に生まれ、最初松前藩家老である蠣崎波響より絵画の指導をうけた。その後、伊達より京都に上り、浦上春琴のもとで中国南宗画を手本として学んだ。適山は、現在のところ、二点の「蘭亭曲水(らんていきょくすい)」を描いたことがわかっている。

蘭亭曲水とは、東晋の穆帝(ぼくてい)の永和九年(三五三)三月三日、「会稽山陰之蘭亭」に当時の名士四二名が会して襖の祭事をおこない、「流觴曲水(りゅうしょうきょくすい)」の遊びをして楽しんだ。その故事は、王義之の「蘭亭記」または「蘭亭集序」にくわしい。「蘭亭曲水」は墨客に好まれた題材であり、多くの南画家、たとえば池大雅、与謝蕪村、岡田米山人らによって描かれた。適山もその一人であったといえる。

適山は、画面上部に「崇山峻嶺」をとらえる。峰は険しく表現されているが、全体に高く大きな印象にはとぼしい。しかし適山が長い年月をかけて学んだ絨去(しゅんぽう)がいかんなく表わされている。画面下部に、「茂材脩竹」や「清流激湍(たん)」が描かれる。あるものは、亭より身をのりだして流れに目をやり、あるものは流れに沿ってならびすわり、あるものは杯をとり、あるものは竹林で語っている。「蘭亭曲水図」は適山の全作品の中で力をこめた絹本着色の作品で、その大きな特徴はていねいな筆法による細密な描写にあるといえる。画面左端に「嘉永六年歳在癸丑春蚕月上澣写(一八五三)適山逸人」とあり、適山五八歳のとき制作された作品である。形状絹本着色五十六・三×八十四・三センチメートル

所在地伊達郡保原町一丁目六番地所有者熊坂秀次郎

ふるさとの文化財


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