教育福島0104号(1985年(S60)09月)-006page
提言
教育改革に思う
福島大学長
山田 舜
【筆者紹介】
山田 舜・やまだあきら
大正十五年
広島市に生まれる。
昭和二十二年
旧制広島高等学校卒業。
昭和二十六年
東京大学経済学部卒業。
昭和二十六年
福島大学経済学部助手に任用される。
昭和二十九年
同大学講師。
昭和三十一年
同助教授。
昭和四十一年
同教授。
昭和四十三年
同評議員。
昭和五十三年
同大経済学部長。
昭和五十九年
同大学長となり現在に至る。
専攻は、当初、経済原論、ついで日本経済史。主著『日本封建制の構造分析』(昭和三十年・未来社)のほか、 『福島県史』など、多数の著書・論文がある。趣味は季節の釣り。とくに鮎の友釣り。
私のような高等教育にたずさわるものが、初・中等教育について発言するのはへたいへんおこがましいことかもしれない。実状を知らず、とんでもない見当はずれをするおそれが強い。
しかし、現今、落ちこぼれやいじめ、非行や暴力などの、いわゆる「教育の荒廃」が騒がれ、臨教審は早々に中間答申を行い、日本中刀すべての国民がいっぱしの教育評論家になろうかという勢いである。今ほど、素人の教育評論家が横行している時代はなかったであろう。こういうムードに便乗して、私も一言、言わせてもらってもよいのではないかと考えた。
いわゆる「荒廃」の原因について、さまざまなことが言われている。現在の荒廃を改めるには、その原因を究明し、それを正す以外にないのだから、これは当然であろう。この究明を脇におき、抽象的なアドバルーンや奇抜なアイディアをきそうのでは、たしかに直面する荒廃現象はなくならないと思う。これらの諸原因のなかには、教員の質の問題、教育施設の不備、教育制度の欠陥などがあげられているが、教員いじめのほうが先行しているようである。
私は、当然のことかもしれないが、荒廃の諸原因のうちで最も重いのは、偏差値評価、あるいはもっと根本的に、「5〜1」の相対評価であると思っている。それは、ある種の自由原理=