教育福島0104号(1985年(S60)09月)-007page

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福島大学「金谷川キャンパス」全景

福島大学「金谷川キャンパス」全景

 

競争原理の教育の場への導入・徹底であり、友だちをけおとさなければ上にあがれない、自分だけできればよい、できない子は相手にしない、相手にする余裕もない、かぎりなく上限があがってゆく、上限にむけての努力が未来のその子の研鑽に役立つとはいえないといったものである。ただ、.そうはいっても、教育現場では、競争原理がこれほど徹底しているとは思えないけれども、さらに、こういう評価法が、教育と管理との区別の暖昧化として、教員自体にはねがえっているように思えてならない。

私自身、戦前・戦中に小・中学校で教育をうけ、厳格な皇国主義のイデオロギー教育をほどこされたのであるが、そのなかで、今の子に比し、よかったなと思うのは、「甲−丁」の絶対評価の制度である。教科書や例題を一定点まで習得すれば、その学年は終りであった。頭の回転の速い反映力のある子どもは、一学期で一年分を身につけたものである。彼らはそれ以上はやらず、他の本や室内外の遊びに精をだしたものである。心に残るのは、彼らがクラスを考え、友を思い、おそい子をひきあげる努力をしたことである。甲が多いほどよいという考え方である。このなかで、多くのモラルや心の友をうることができたと思う。

 

時代のちがいといわれればそれまでだが、なぜ今、この評価法が論じられないのか、不思議でならない。偏差値や輪切りまでは論ぜられても、相対評価にまで及ばなくては、今の教育はよくならないのではと思う。さらにその基礎にある原理が、つまりあまりに経済学的な自由化や競争主義が問題にされなくてはと思う。素人のたわごとかもしれぬが、御批判を得たいものである。

 

 

 


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