教育福島0104号(1985年(S60)09月)-051page

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世界の教育は、今。

海外教育事情の紹介

gファーター10年制総合技術学校)。ペンを使い消さないことを習慣化させている

▲グループで算数学習(アルベルトファーター10年制総合技術学校)。ペンを使い消さないことを習慣化させている

労働、節約、誠実

そして女性教師たち−厳しい現実の東ドイツ−

ーヵ月にわたる海外視察で一番緊張したのは、最初の訪問国東ドイツ入国の時であった。

西ベルリンのホテルを後に、高速道路を走ること約二十分。警備も物々しい検問所に着く。長蛇の自動車の列。待たされること四十分間。厳しさは想像していたものの、すべての車が、トランクの中といい積み荷といい細かく検査される。私達もパスポートと一人一人の顔を見比べられた。検査官の視線は、冷たく厳しい。同じドイツ人には、なお厳しいとのこと。戦争という悲劇によって、東西ドイツ同じ国民でありながら、今なお、親子兄弟が自由に往き来できない現実を見て、胸がしめつけられる思いがした。

しかし、国内(マグデブルグ市)に入ってしまえば、市民の表情は明るく笑顔がいっぱいである。労働者は、朝は夜が明けやらぬうちから夕日が沈むまで働いている(もっとも十一月のことで日照時間が短い)。実によく働く国民である。働くことに誇りをもっていると聞く。

街並や道行く人々の服装などは地味である。ホテルも食事を除いては、ぎりぎりの所まで節約している。市では一番大きなホテルであるのに、ギシギシきしむベット。浴槽がなくシャワーだけの浴室。ごわごわのバスタオルとトイレットペーパー。放映時間が短い白黒テレビ(テレビッ子などは有り得ない)。うす暗い照明。紙質の悪い絵はがきや便箋。通貨までが西ドイツのものより質が落ちるとか。そして何よりも自家用車のオンボロなのには驚いた。使えるうちは大事に使うらしい。

でも、そこで働くメイドさんやボーイさんの態度は、とても誠実で気持ちがよい。待に三度三度お世話になったレストランのマスターや従業員の方々の細かい心配りには、日本人に似た人情と気配りが感じられ、うれしかった。

東ドイツでの学校訪問は、三校であったがすべて教育委員会の視学官(女性)が案内し、管理の厳しさを感じた。教育方針・組織は、社会主義国のそれであって、どこの学校も同じである。ただ街並の印象とはちがって、とても明るくカラフルな教室であった。そして話には聞いていたが、女の先生、女の校長の多いのにも驚いた。この市では、八十四パーセントが女教師であり、女の校長は三十六人いるそうだ。

教育機器なども導入されてはいるが、教師にとって大切なもの、その第一は「自分の声」第二は「チョーク」と話されたベテラン教師の瞳が印象的であった。

(昭和五十九年度文部省教育海外派遣・第二九団昭和五十九年十一月十四日〜十二月十三日)

[郡山市立安積第一小学校教諭 北條 光子]

ポリン運動(同上)特に優れた技能をもっている子どもに対し放課後指導している

▲トランポリン運動(同上)特に優れた技能をもっている子どもに対し放課後指導している


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