教育福島0105号(1985年(S60)10月)-006page

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提言

育種の未来

 

育種の未来

 

農林水産省農業生物資源研究所

細胞育種部長農学博士 志賀 敏夫

 

【筆者紹介】

 

志賀敏夫・しがとしお

昭和二年いわき市久之浜に生れる。昭和十九年県立白河中学校四年修了、昭和二十三年山形高等学校理科乙類卒業、昭和二十六年東北大学理学部生物学教室卒業、以後山形県立上山農業高等学校教諭を経て、昭和二十八年から昭和四十三年八月まで福島県立農業試験場農林省指定菜種育種試験地に勤務し、寒冷地帯向けの菜種の品種改良に従事す。その間チサヤナタネ、アブクマナタネ、ミユキナタネ、アサヒナタネなど七品種の育成に関係した。

昭和四十三年九月から昭和五十四年三月まで農林省農業技術研究所生理遺伝部遺伝科に勤務し、他殖性作物の遺伝育種学的研究に従事した。その間菜種の細胞質雄性不稔性利用によるヘテローシス育種に関する研究を行った。この研究で昭和五十一年東北大学より農学博士を授与され、昭和五十六年日本育種学会より学会員賞を受賞した。

昭和五十四年四月より昭和五十八年十一月まで農水省農業研究センター、甘藷育種試験地(千葉県四街道市)で甘藷の品種改良に従事し、ツルセンガン、ベニアズマの品種育成に関係した。昭和五十八年十二月に農林水産省がバイオテクノロジー研究を推進するために農業生物資源研究所が設立したのに伴い、細胞育種部長に就任し、現在に至る。

 

私が作物の育種に携わるようになって三十年を越す歳月が流れてしまいました。この間に育種をとりまく情勢が大きく変りつつあります。育種の未来を考えるとき、人類にとって育種とは何であるのかを考えておく必要があると思います。

人類の歴史は野生植物を馴化させ、人類に役立つ作物を作り出す歴史であり、これが育種そのものであったと思います。自然界においては、植物も動物も非常に多くの変異を生じ、それら変異のうち環境条件に適応したものが生き残って現在の姿に進化して来ました。育種は自然界の変異から人類にとって有用な希望型を選抜する形で進められ、生物の進化を少し促進する手段であったと思います。

一八六五年オーストリアの牧師であったメンデルによって「植物雑種の研究」が発表され、一九〇〇年に再発見されました。メンデルの法則は遺伝学の最も基礎的な法則で、この理論にもとずいて交配を中心技術とする品種改良の手段が確立し、育種は目ざましい発展をとげました。わが国においても、イネ、コムギが畿内支場で一九〇四年、メンデルの法則再発見後四年目に、品種間交配を始めています。大正の末から昭和初期にかけてイネ、コムギ、オオムギ、ダイズ、ナタネ、バレイショ、カンショなど国としての組織的な育種が開始されました。私が育種に携るようになった一九五〇年代前半は、交配育種による成果が生れつつあった時代で、コルヒチンを利用した倍数生育種が実用化され出し、放射線を利用した突然変異育種が脚光をあびて開始された頃でした。その後三十年間に育種

 

 

 


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