教育福島0108号(1986年(S61)01月)-009page

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知らない。ルノワールを知っていても鉄斎は知らない。だがそうなったのは学生が悪いからではなく、美術情報を提供する側に問題があるようだ。新聞、雑誌、テレビなどのメディア側に問題がある。しかし本当は、もっと奥に原因が隠されていると言ってよい。はっきり言えば、ヨーロッパの美術情報でなければ本や雑誌が売れないという文化風土に原因がある。学生の回答はこういった文化風土を素朴に反映しているに過ぎないのである。これは確かに困ったことだと言わなければならない。

ところが、考えてみると、ミケランジェロやルノワールの名前を知らないよりも知っていた方がいいに決っているのであって、この現象は海の彼方のものに対する強烈な好奇心の発露として捉えておいた方がよい。明治以来の日本文化の展開は、実はこの好奇心に支えられてきたのである。もっと古く、推古時代からと言った方が正しいであろう。私たちの先祖は中国大陸の優れた文明を貧欲に吸収してきたのだ。ただその吸収消化の過程が著しく性急であり、また気まぐれであったことは否めない。勝手気侭に食い散らかしてきたような趣きがある。日本人の性向がよく現われているのだ。しかし、だからといって、このまま放置していいことではないと思う。

 

美術の歴史を眺めるのであれば、フランスと日本、アメリカと日本というように、常に相関的に眺めてゆく視点が必要ではないかと思う。美術展の場合でも同じことが言えるのであって、日本美術の座標のなかで海外の美食欲捉えることが望ましいであろう。むずかしい問題もあるから簡単にはゆかないが、少くともそうして行きたいというのが私のささやかな念願である。

 

なお現在、福島県立美術館の収集評価委員として本県文化の振興に協力をいただいている。

県立美術館の収集評価委員として活躍する筆者

県立美術館の収集評価委員として活躍する筆者

 

提言

 

 

 


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