教育福島0108号(1986年(S61)01月)-030page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

判断力のことになると疑問になる。これらのレベルアップについては、学生によりよい研修の機会を多く与えることであり、さらに学生自らが自らの実践によってつかんでいくしかないように思われるのである。

コンピューター、バイオテクノロジー等急速に進む技術革新の多様な社会で、基本的な使命感や判断力の優れた農業人の育成こそ、めざしたいものである。

(県農業短期大学教務主任)

 

脱線

鈴木源二郎

 

である」と暗唱させられた詩や歴史の年代もまだまだ覚えていることが多い。

 

二年前、四十二歳の厄払いを兼ねて、同級会をした。準備のために十回ほど発起人会を開く。話題はいつの間にかA先生の「幽霊の話」のこと、B先生がよく話した「高校野球」のこと等、決って授業の中で先生が話された脱線話のことである。しかし、脱線話しか今では残っていないのかと言うと、そうでもない。「小諸なる古城のほとり、雲白く遊子悲しむ−遊子とは遊んでいる子どもではなく、旅人のことである」と暗唱させられた詩や歴史の年代もまだまだ覚えていることが多い。

今考えてみると、僕たちが教わった先生の多くは、脱線話が上手で、教材と結びつけた多くの脱線話で、僕たちをひきつけ、興味を持たせながら授業を進めていたのだと感心させられる。

それでは、自分も脱線話で興味・関心をと思うのだが、なかなか思うような脱線話の種が見つからない。また、なんとか自分の少ない経験の中から話の種を見つけても、教材とすんなり結び付かず、取って付けたものになってしまう。あらためて、僕たちが教わった先生方の教養の深さを思うと同時に、自分の読書の貧困さや、まだまだ人間としても、教師としても青二歳であることを痛感させられる。

私の言いたいことがなんだか脱線したようであるが、今後も、他の方法も考えながら、授業に多くの脱線話を取り入れながら、生徒をひきつけていく工夫は大切であると思う。

 

話は変わるが、

「あをあをと空を残して蝶分れ」

この俳句の授業の時、二匹の蝶が、もつれながら空に飛び上がる情景が分からないという生徒が多いのにびっくりした。たしかに、一日の授業を終え、部活動をして帰れば、すぐに夕食の時間である。自然にじっくり接する時間は、今の生徒にはほとんど無いのである。

そこで、これも授業の脱線になるのであるが、初蝉の声が聞こえた時など、授業を中断して、生徒みんなに、その蝉の声を聞かせたり、雲の間から差し込む太陽の光を見せたりすることは、大切なことであると思っている。

この間の学年会で、先輩の先生から「きのこ取りの法」という話を聞いた、きのこは上から見ていたのでは見つからない。下に降りて、上を見るとよく見つかるというのである。この先生、「私は、生徒に接する時も、この気持ちで接する」とのこと。なるほど、僕なんかは、いつも、実態、実態と言いながら、上からばかり見ていて、きのこをさっぱり見つけられないでいたのだ。

授業の中に脱線の工夫をすること、少しでも多く生徒を自然に触れさせること、そして、常に下から生徒を見る目を大切にするよう努力していきたいと思っている。

(保原町立保原中学校教諭)

 

H君のことなど

H君のことなど

 

野内建寿

 

何と言っても教員になってからの生徒との出会いが印象に強く残っています。

 

県内の公立小・中・高校に三十六年勤めています。あと数年で教員生活も終りとなりますと、やはり過ぎ来し方が思いやられる此頃です。教職につく前幾つかの職業を転々とし、今考えますと、それはそれなりに面白かったし、昭和二十五年浅草七軒町の左官屋で見習いをしていた時分に私が塗った土壁は、つい最近まで浅草は駒形に残っていて、上京する度に懐かしさの余り立ち寄ったりしたものですが、何と言っても教員になってからの生徒との出会いが印象に強く残っています。

 

二十何年も前ですがF高校でH君という生徒を担任しました。農家の長男で朝五時に起きて畑仕事をしてから登校していました。タバコの収穫期には夜遅くまで「タバコのし」をするため手がひどく荒れていたのを覚えていま

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。