教育福島0108号(1986年(S61)01月)-032page
ふるさと万歳
八城盛
「先生、今晩あいてますか」
「どうした」
「ちょっとね」
「出てこないか」
これは、九年前に卒業生として、本校を送り出した教え子との電話での会話である。
現在、私は、郷里双葉の地で二度目の教鞭をとっている。成人になった教え子が、頻繁に我が家を訪れるようになり、晩酌の量も増える日が多くなった。今日は、どんな話題を持ってくるのかを考えると期待に胸が踊る。
「A子、最近、必死に貯蓄してるんだけど、いよいよ、結婚するのかな」
「不景気で、品物の売れゆきが悪くてね」。
「郵便局の勤務時間が五種類もあって、生活がどうも不規則になるんだ」などめいめいの話が飛び交う。なんとも大人びた会話に思わず苦笑してしまう。茶菓子で話した数年前に比べ、テーブル上は、酒肴と灰皿が添えられるような年齢になったのである。このように楽しいひとときが持てるのも教師なればこそと思う。
教員採用試験の面接の際、「なぜ、この道を選んだのですか」との質問に「郷土教育をしたくて」と生意気な答えをしたのを思い出す。現在も、その考えに変わりはない。今、本校の子どもたちの顔やしぐさを見ると、いずれも幼き日の友のコピーたちである。このように比べられるのも、私自身双葉産だからである。中学での同級生十八名も今は、本校のPTAとして、活動している。その姿を見ると大変心強く感ずる。同時に、なんとか次の郷土を担う子どもたちを立派に育てあげねばという使命感が湧いてくる。
世間では、地元で教鞭をとるのは、やりにくいだろうという人もいるが、とてもやりがいがある。「指導がどうだ」「素行がどうだ」と神経を使うのも確かであるが、それ以上に地域の付き合いを通して、より深く子どもを理解できる良さもある。
「B君、お父さん、いつも何時に帰る」
「僕寝てからだよ」
「お父さん、忙しいんだな」父親との面識がないと、これで終ってしまうことが多いが、同じ町に住んでることもあり、顔を合わせる機会も多い。そんな時、
「毎日、忙しくて帰り遅いんだってな。息子寂しがってたぞ。たまに早く帰ってやれ」と気軽に声をかけることができる。
数日後、もう一度、帰宅時間をB君に聞いてみると、
「昨日は寝る前に帰ってきたよ。先生、お父さんに早く帰れって言ったでしょう」
「言ったよ。良かったな」自分のクラスの子どもでなくても親を知っているというだけでなんらかの会話を持つことができるのだ。
同級生の子どもを育てる夢が、私のような年齢で実現できたことを大変幸せに思う。また、その子らが成長する姿をじかに見れるのも地元なればこそと考える。私は、まだまだ未熟である。それゆえ、日々研修に精進し、正しく強く朗らかな児童の育成を目標に、与えられた責任を果たせるよう努力したいと考えている。
(双葉町立双葉北小学校教諭)
幼稚園の教師になって
猪狩ノブ子
過日、結婚式の招待状が舞い込んだ。幼稚園の教え子からである。もう、あれから何年たったであろう。一瞬胸があつくなった。教師としてのよろこびが今更にしてこみあげてくる。
私は幼いころから、先生になるのが夢であった。友達が集まると、時間、空間を利用し、学校ごっこが繰り返された。かんけり、くに取り、陣取り、お手玉つき、歌をうたうなど。口喧嘩も思い出される。神社の境内での学校ごっこがいまもなお印象にある。学校ごっごで、先生にならないとふくれたことなど、いまでは懐しく思い出される。これも、母の影響が大きかったと思う。
その頃の母は、芸妓さんたちのお座敷用の着物を専門に縫うかたわら、塾を開き、大勢のお弟子さんたちに和裁