教育福島0109号(1986年(S61)02月)-006page

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提言

 

温もりのある教育を

地域文化功労者 川又恒一

【筆者紹介】

 

【筆者紹介】

 

川又恒一・かわまたつねかず

明治四十四年三春町に生まれる。昭和九年、早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業。同十二年同大大学院を修了。同十六年から二十年まで兵役に就く。同二十一年に三春町の合資会社「本陣」本店社長となり、その後三春町を中心に地域の教育、文化、社会活動に献身。小・中・高等学校のPTA会長を十四年間。三春町の教育委員を二十年間勤め、そのうち十四年を教育委員長として当町の教育、文化の向上に全力をあげてこられた。

またその間、昭和二十三年より福島県山岳連盟理事長(現在同連盟顧問)同三十二年より県衛生組織連合会常任理事(現同連盟会長)、同四十二年より三春町文化団体連合会長、同五十八年からは県明るい選挙推進協議委員等多くの要職に就いている。

これらの多くの功績に対し、昭和四十三年に厚生大臣表彰、同五十二年、自治大臣表彰、同五十六年には本県の文化功労賞を受賞。また同五十七年には内閣総理大臣表彰を受け、昨年は地域文化功労者として文部大臣表彰をうけられた。

 

日本は単一民族の単一文化といわれることが多い。多民族国家から見ると確かにそうであろう。だが果たして単一分化圏の日本と考えてよいのであろうか。異質文化が入らねば進歩が無いといわれるように、我が国の歴史を見れば、北方よりの文化と南方よりの文化の交流が行われ、その混合の中からそれぞれの地域の文化が形成されてきたといえる。そしてその際、それぞれの文化を完全に否定や同化をせずに、平衡させてきたことに日本の文化の豊かさの源泉があると考える。

県内でも、会津の文化と中通りの文化とは違う文化圏にあるように、それぞれの地域の人々の永い生活のうえに築きあげられてきた文化は、それなりの存在理由があり、人間の生活の背後にあって、時に暖かい温もりとして人々を支えてくれるものである。このような地域の文化の温もりがあってこそ人々の心の温もりが育つものと思う。

例えば、東京の文化は集合体としての文化であり、多くの優れた芸能文化(−文化と芸能を混同する考えを時折り耳にするが、芸能は文化の一部であって同義語ではない−)があるが、それが文化の東京中心の見方や地方の蔑視につながるような考え方は、本当の文化の考え方とはいえない。

 

ところで最近、地方にある豊かな文化が、交通の発達、経済や人口の都市集中化、マスコミの影響等でその特色が薄ら

 

 

 


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