教育福島0109号(1986年(S61)02月)-007page
いでいく危機にあることが指摘されてきている。これは、本来庶民の中にあるべき地域文化が、学校教育の中で都市中心の文化価値の方向から教えられるうえに、所謂無責任な観光客的な物珍らしさのみで取りあげられたり、地方でも地域経済中心の発想による地域文化の自殺行為といえる「おみやげ観光意識」が横行し、本当の地域の文化を教えぬ、否、教える努力をもしない為かとも考えるのである。
また私はかつて町の教育委員を勤めていた頃、当町に赴任されてきた教員の集まりで、“学校教育の方向はえてして無機質であるのに対し、子どもたちは郷土の温もりの中で育ってきているので、先生方もこのことに目を開いて子どもたちに接していただきたい”と挨拶したことがあった。先生方にも本当の国民の文化とは何かを心得ていただきたかったことと、教科書鵜呑みの文化の学習では余りにも淋しいと思ったからであった。教科書はいわば標準的内容であり、国が教育を受ける者に均等に教育内容を保障しなければならないということは分かるとしても、それが先生方の文化の教育に固定した方向性しか与えないとすれば、それは果たして望ましい文化教育となるであろうか。文化も教育もその背後に温もりの無い蒸留水のような画一的なものであれば、地域の文化、地域の子どもたちの心の温もりはどうなってしまうのであろうか。
今、我々日本人は、経済で世界をかき回しているとい.われている。また、日本人は商売の話となると話題が多いが、文化となると話題が無いと評されてもいる。標準的あるいは画一的な「知」によって得られた文化で無く、長い間の人間の生活の中で練りあげられた「智恵」によっての文化は、心に深い、そして暖かい温もりを与えることを忘れてはならないと思うのである。
講演をする筆者(父母と教師の会・行健小にて)
提言