教育福島0109号(1986年(S61)02月)-046page

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昭和60年度公立幼稚園・小・中・養護学校職員研究論文

《特選》

 

教育相談を生かした指導の実践

喜多方市立第二小学校教諭

目黒美智子

 

一、実践の趣旨

 

一、実践の趣旨

 

(一) 実践の動機とねらい

クラスの中に級友から疎外されている子ども(D子)がいた。いわゆる「仲間はずれ」である。幼稚園時代に端を発してから、五年生となった時点でもその状態が続いていた。そのことに気づいたのは、担任したての新学期早々であった。

子どもたちのこのような状態を放置するわけにはいかない。なんとかして、この仲間はずれやいじめをなくし、どの子も楽しく学習できる場にもどしてやらなければならない。

そのためには、子どもたちと徹底して話し合う必要があることを強く感じた。話し合う中で仲間はずれや弱い者いじめはいけないことに気づかせ、そのような行為をなくしていきたいと考えた。

「いじめ」−この三文字は新聞や本等でよく目にはしていたが、正直いって対岸の火事という感じで、今まで一度も身近な問題として考えてみたこともなかった。

ところが、その行為が現実の姿として子どもたちの間で行われているという事実を目のあたりにして怒りを覚えた。

決してあってはならないこと、人間が人間を疎外するなどとは決してあってはならないことである。人間性を否定するような行為が堂々と行われていることを決して見のがしてはならない。

人間である以上、誰しも好ききらいはある。しかし、気にくわないからと

いって、いじめていいという理屈は成り立たない。お互いの心と心の触れ合いが足りないときに摩擦を生じるのだと思われる。その摩擦が、いろいろな行動となって表れてくる。「いじめ」もそのひとつの表れと考えられるのではないだろうか。

私は、このような実態の子どもたちに教育相談を実施することによって、その摩擦を幾分かでも小さくすることができるのではないかと考えた。それがひいては、子どもたちの心を開かせ、いじめを許さぬ土壌作りに役立ち、自分たちの力で問題を解決していこうとする姿勢にまでつながるのではないかと考え、本実践に取り組んだ。

(二) 学級の実態と問題点

男子はもちろんのこと、女子たちのD子を見る目は冷たかった。ちょっとでもD子が近よると、「そばへ寄んないで!」と語気激しく威嚇する。D子の持ち物には一切誰も手を触れない。D子の配った給食は食べたくないからといって取りかえにくる子がいる。D子が来ると、みんな大げさにキャーキャー言って逃げる。また、中にはわざわざD子の机に触れ、「D子の菌をくっつけるぞ」と言って、みんなを追っかけ回してふざけている子等。

このようなことをする子どもは、いたずらっ子ばかりかというと、そうではない。生活態度もまじめで、この子がと思うような女子でさえ、憎々し気にD子の運動着や持ち物を足でけったりしているのである。

遊びの時にも、D子はいつものけ者である。たった一人でポツンと自分の席に座っている。目を上げて、誰かの目とでも合おうものなら、「こっちを見ないで!」と怒鳴られる。

こんな人間性を無視した行為があっていいものか。D子と親しくしているのは、隣のクラスのM子だけである。みんなから疎外された者どうしが二人寄り添うというのは自然の理なのだろう。D子は、こんな悲しいことを口にした。「いいの。私、もうこんなことされるの、慣れちゃったから」

なんということであろうか。その二人の心境を思うと、いてもたってもいられなかった。

このような子どもたちの実態から、次のような問題点があげられる。

1) 仲間はずれをしている子どもの意識

○ まるでゲームでもするかのようにD子をうとい、D子の存在そのものを拒否しようとしている。

○ 別にD子に恨みがあるわけではないが、みんながやっているから自分もやっている。

○ 今まで一度も、D子からなにかいやなことをされたことはない。しかし、みんなが一年生の時からD子をきらっているので、自分も

 

 

 


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