教育福島0109号(1986年(S61)02月)-048page
うところまで、ようやくこぎつけることができた。
(二) 五〜六月「子どもたちへの啓蒙を通してKグループの結成」
1) 全体指導を通して 2) 教育相談を通して}(内容省略)
3) 子どもたちの変容
再三再四の話し合いや学級指導に刺激されてか、進んで良いことをするという名目の下に、A子たちがKグループを結成した。その後、次々と女子間にその仲間が増えていき、その都度、報告があった。
事実、少しずつではあるが、D子やM子に対するクラスの子どもたちの態度がやわらいできていた。まだ、どことなくぎごちない感じではあったが、D子に声をかけ、遊びに誘う姿もちらほら見かけるようになってきた。.
4) D子の変容
春の運動会には、D子は入学以来、初めて全種目に参加した。雨でずぶ濡れになりながらも、めずらしく風邪ひとつひかなかった。母親からの手紙には、「D子の性格が明るくなってきたようだ」と書かれている。(資料省略)
(三) 七月「保護者との共通理解をもつ」
1) Kグループの問題点
その活動を期待されていたKグループだったが、グループ内での約束.ことがどんどんエスカレートし、マイナス方向へ向かい始めた。そのきまりに異を唱えたH子は仲間からはずされ、グループの実権はA子、B子、C子の三人が握った。
そのことについて、教育相談をした結果、勇み足に気づいたA子たちは、そのきまりを解消した。(A子たちの概要省略)
2) 教育懇談会の席上で
子どもたちの実態を保護者の方々に説明し、協力を依頼した。 (子どもの名前は伏せたまま)
その直後、思いがけないできごとが起こってしまった。D子の母親が立ち上がり、自分の娘が幼稚園のときからずっといじめられてきたこと、五年生になってから明るくなってきたこと等を泣きながら切々と訴えられたのである。その場に出席されておられたお母さん方は、その話を聞いてもらい泣きをしてしまった。A子の母親は、「そのいじめっ子の中心は、きっと自分の娘に違いない」と涙ながらに話された。
これをきっかけに、みんなそれぞれ自分の子どもの様子と考え合わせて本音で話し合って下さった。そして、二度とこのような悲しいことが子どもたちの上におこらないよう、家庭でも十分気をつけていくということを出席者全員で確認し合ったのである。
(四) 八〜十月「自主性を育て、いじめを許さぬ学級集団作りに努める」
1) 「いじめ」を自分の問題としてとらえ、他人の痛みに気づき始めてきた子どもたち」
いじめをなくすために作ったはずのグループが、いじめの中心となった。D子に対するいじめがやわらいできた時点で、そのほこ先は同じグループ内のまじめな子や意志の弱い子に向けられた。それはグループの人数調整という名目で。また花いちもんめやかごめかごめなどの楽しいはずの遊びの中で行われた。(資料2)
このようなできごとを通して、今までD子へのいじめを他人ごととして接してきた子どもたちに変化が現れ始めた。
A子たちを取り巻いていたE子、F子、G子がグループのことで教育相談を依頼してきた。その内容は、 「自分たちがいじめられる立場に立って、初めてD子のつらさが分かった。A子たちと手を切りたいのだが、正面きって
資料2 学級委員であったS子の作文
花いちもんめやかごめかごめの中にも、いじめが入りました。
私もやったことがあります。
でも、それは心から楽しんでやったわけではありません。友だちに「どうしてやらなかったの。やだあ、もう仲間に入れてあげないよ」と言われるのが、いやだったからです。
男の子を集団でけったりなぐったりして泣かせてしまったこともあります。そのため、けがをした女の子もいました。
それに、先生が出張のときや休みのとき、私はクラスの役員でしたが、その人たちがこわくて注意することもできませんでした。
まわりで見ている男子やほかのクラスの人たちまでこわがり、みんなその人たちを注意することもできませんでした。
Kグループは、良いことをするためのグループのはずなのに、悪いことをたくさんやりました。
仲間はずれやいじめも、このグループが中心となってやりました。
みんなは、Kグループに入らないといじめられると思い、みんな入りたがりました。(後略)
※頭ごなしに注意ばかりしていても、あまり効果がないことをこの作文は如実に物語っている。
目黒先生の授業風景