教育福島0110号(1986年(S61)04月)-019page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

青少年問題と臨教審

千石保

千石保(せんごく・たもつ)(五六)=(財)日本青少年研究所長・弁護士《第三部会》

昭和二十六年早稲田大学法学部卒業。地検検事、法務総合研究所教官・事務局長、総理府青少年対策本部参事官を経て現職。

 

教育改革の目標

 

いじめのニュースが、連日のように新聞紙上を賑わしている。しばらく前は、校内暴力の嵐が吹き荒れた。校内暴力は、やや下火になったとはいえ、依然として大問題であることに変わりがない。また、それほどニュースにはならないものの、登校拒否も小さい問題ではない。登校拒否には、いじめ、校内暴力、家庭内暴力の影が付きまとっている。それらの原因があって、登校拒否をする。

ひと口にいって、教育荒廃が吹きすさんでいるのだが、どうこれに対処するか。国民の期待を担って、臨時教育審議会が発足した。教育荒廃は、家庭のしつけが足りないからといい、教師の熱意や資質が問題だといい、大学入学試験が原因だといい、まさに百家争鳴の感がある。臨教審は、この教育荒廃にどんな処方筆が書けるのか。

もう一つの臨教審の目的は、現状からの問題意識というよりも、二十一世紀を見越した教育の在り方である。今後、国際関係がより重要となるだろう。諸外国とのコミュニケーションをよりょくするための教育は、いかにあるべきか。それにも増して、ハイテクノロジーの時代に求められる創造性や独創性を、どのようにして育成するか。ことのほか、従来の暗記主義の教育が、問題として浮上する。

教育荒廃という「現状」を問題に据えるのと、創造性を養う「未来」を睨んだ視点からの問題とは、ときに正面衝突をする。臨時教育審議会は、この二つの問題を抱えてスタートした。創造性を養う教育は、より個性や自由を尊重し、いわば英才教育とでもいうべき内容が適切だろう。「自由化」論者は、この側面を強調する。しかし、例えば、小学校を自由に選び、教科内容や進級などを自由にすることは、競争をますます激しくし、受験競争の低年齢化をもたらすだろう。それは、今日の教育荒廃をより激化させることに繋がる。そこに、臨教審のジレンマがあったのだった。

臨教審での、いわゆる自由化論争は、一応、沈静化した。どうやら、現状の教育荒廃が、最重要課題として取り上げられる形勢に落着した。これで良いかどうか、教育百年の計を考えるときは問題だろう。しかし、両者は深い次元では、当然のことながら繋がっている。

 

青年年問題

 

青少年問題は、非行問題に限られてはいない。だが、青少年を問題視する、という場合は、健全さを育てるよりは、問題行動に着目せざるを得ない。では、今日の青少年問題は何か。それは、いうまでもなく教育荒廃といわれる、いじめ、校内暴力、登校拒否、家庭内暴力、万引きなど、反社会的、非社会的行動である。

これらの青少年問題は、性格や環境が特殊な青少年の問題ではなく、今日の日本の社会が持っている一般的な問題である。この一般的問題の処方筆を書くために、臨教審が生まれた。では、どんな処方筆があるのか。

数年前、東京・町田市の忠生中学で、先生が果実ナイフで生徒を刺す、という事件が起こり、同じ頃、横浜では中学生が浮浪者を暴力で殺すという事件が起こった。日本の中学生たちが、とてもじゃない問題を抱えていることを、この二つの事件が、日本の親や先生や一般の人々に痛烈に示した。学校がテレビに写し出されて、窓ガラスという窓ガラスがほとんど割れており、便所の囲いが破壊され、ホーロー製の便器だけがむき出しになっている有様を見て、国民は仰天した。

驚くべきことに、総理府青少年対策本部(当時)などの調査では、先生を殴りたい、学校の施設を破壊したいという生徒が、半数以上もいることがわかった。どうやら、勉強についていけない子、つっぱりの子どもたちが暴力を振るっていることもわかってきた。家庭のしつけも、なっていないことも明らかになってきた。横浜の浮浪者を

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。