教育福島0111号(1986年(S61)06月)-023page

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随想ずいそう

 

悪の芽と息の根と

 

悪の芽と息の根と

鈴木京子

 

校内合唱コンクールの歌の流れの中に「川」を聞くと、私はせつなくなる。

 

初夏は、女子高校の歌の季節である。校内合唱コンクールの歌の流れの中に「川」を聞くと、私はせつなくなる。

女子校に赴任して三年目に受け持った学校で選ばれた曲が、高田三郎作曲の組曲「水のいのち」の中の「川」であった。「何故、さかのぼれないか。何故、低い方へゆくほかはないか」で始まる高野喜久雄の詩は、人間の本質をとらえていてみごとだった。

−−易きにつき、心のままに流されて、失敗を重ねて生きる私たち人間。しかし、堕落する者の胸の内にも、青く澄む空の高みや切り立つ峰に恋い焦がれる心がある。いや、堕ちてゆく者だからこそ、天上的な山や空に焦がれいらだつ心の中で、上流へところがりのぼる魚や石をみごもるのだ

私の解説を食い入るように聞いている顔があった。鄙にはまれなすらりとした肢体に小さめの整った顔が乗った大人びた待子である。奇妙に世なれたコケティッシュな子で、級友から浮き上がっていたし、職員間での評判も、学生らしくないと芳しくなかった。

その待子が、「あんた、帰っちゃだめだよ」と人をかき集める役をし、合唱練習の牽引車となった。彼女は笑うように大きく口を開け、首を縦に振り体を前後に揺すって歌った。指揮者の指示にうなずき、その指先から目をそらさないで歌っている待子を、私は美しいと思った。歌は熱心な練習を重ねるうちに背中が寒くなるほど透明に仕上がってゆき、コンクールでは最優秀賞に入った。

その後九か月たって卒業式も真近になった頃、ある先生が巷で待子の噂を聞いてきた。それは最悪の噂であったため、指導部の先生も色めき、担任の私に事情調査を要請してきた。朝夕接している校内での待子は、少々派手で落着きがないが、それも個性と思えば済む程度である、と私は困惑した。しかし、もし噂が本当なら、手遅れになってはたいへんだ。私は思いなおし、重い心で待子と向かい合った。気を使い遠まわしに切り出したが話が核心に触れると、待子の顔は蒼白となり、唇が小刻みに痙攣した。そして悲鳴に近い声を張り上げて、全身で怒鳴ったのだった。

「私が……私は、そんな目で先生方に見られていたんですか。なんで!私の恋人は、たった一人なのにっ」

私も狼狽していた。「私は中傷だと思っているよ。だって、『川』を歌っていたあなたの真剣さ、忘れられないもの」と私が言うと、待子の眼に涙がみるみるうちにあふれ、私の胸に倒れ込んで激しく泣き始めた。

あれから十年以上の歳月が流れた。今も当時の恋人と交際して結婚できる日を待っているという待子に会う度、私は何か恥じ入るのである。この恥は目前の生徒の良い面よりも、噂のマイナス像にとらわれてしまったことに対する自己嫌悪でもある。

教育の世界は、勧善懲悪の理念が支配する。悪の芽は摘みとらねばならぬという教師の使命感は、しかし、時に生徒の息の根を止めることがある。特に、噂に基づいて指導する場合、難しいことだと思う。

目撃者や物証のそろった事件でさえ黙秘権が認められ弁護がつく。また、衆知を集めた裁判でも、裁く者によって死刑になったり無罪となったりすることもある。まして一人の人間の成長を援助する教育の場では、まず生徒の言い分に耳を傾けてから叱ったり論したりしても、事態は悪くはならないであろう。騙されるかもしれない。しかし、生徒の心に息づいている「川の焦がれ」に賭けて、せっぱ詰まって苦しいなら通ってもよいと、一本の道をどこかに残しておく配慮をしたいと思っている。信じてくれる人をそうそう騙してはいられないと思い始めた時、生徒は自己変革を迎え、教育が実り始めるのであろう。

(県立安積女子高等学校教諭)

 

折り返し

柳 哲雄

 

私は教職に就いて十九年目を迎え、丁度折り返し地点に倒着した所です。

 

私は教職に就いて十九年目を迎え、丁度折り返し地点に倒着した所です。

この間、私は素晴らしい先生方や

 

 

 


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