教育福島0111号(1986年(S61)06月)-025page
充実の日々
濱津昌宏
私は、今年度で教職四年目となる。前任校二年間、本校で二年目である。五十二年三月、大学卒業後、七度目の教員採用試験で念願の合格という二文字を手にすることができた。充実の日日であった。四度の高校体育教員の受験、二度の中学校体育教員の受験の末にである。小学校採用内定と通知をいただいた時に、当時、講師として勤務していた中学校の校長先生の胸で、男泣きしたものである。長い六年間の中で、男子高校、女子高校、男女共学高校が二校、中学校、そして幼稚園も経験した。六度目の受験の際には、一時挫折感を抱いたものだが、多くの高校の諸先生方からの励ましで、再度挑戦を試みた。諸先輩の励ましがなかったら、今の自分はなかったように思われる。
昨年、本校に赴任し、教職三年目にして、教務主任、研修主任、養護教育担当などを経験することができた。本当に幸運だった。本校では、二十歳代の先生方がほとんどであり、若さはちきれんばかりの職員構成であった。そんな中での三十代、がんばることが当然であり、有意義な一年間を送ることができた。
本校は、教職員十一名、児童数百十八名の小規模校であり、今春の異動で、教頭先生の定年退職、校長先生のご栄転を含め、六名の転出は一大事であった。しかし、諸先生方の協力と和により、無事、新年度を迎えることができた。
今年度も、私の充実の日々が続きそうである。教務主任、研修主任としての自覚を持ち、新五年生、二十一名の児童の親としての学級担任、日々の児童の成長を育むものとしての責任など、自分に課せられた職務は、大変光栄であり、やりがいがある。
子どもは何にでもなれる、何でもできる可能性を秘めている。子どもの未来は希望にあふれている。そしてそれらは、我々、教師の手にゆだねられている。大変なことだが、やらなければいけない。全校百二十七名の子どもたちの一年間は、我々教師の力にかかっており、二十一世紀に生きる子どもを育てていくのは、私たち、教師なのだ。
子どもたちに、よくこんなことを話す。 「人生は一回生なんだよ、一回しか生きられないのだから、愉快で楽しく、仲良く生きられたら、すばらしいじゃないか。二度と、やり直しはできないんだよ。命は一つしかない、大切にしなければいけないね」そんなとき子どもたちは、真剣に耳を傾けてくれる。本当に素直な子どもたちなのである。しっかりしなければと思う。
昨秋、私もようやく、結婚することができた。皆に祝福され、幸福な第二の人生のスタートを切ることができた。四月の下旬には、一人前の親となれる予定だ。子の痛みの分かる教師として、精一杯努力して、充実の日々を送りたいと思っている。
(都路村立岩井沢小学校教諭)
入園式を間近かにして
峯岸・峯子
卒園式を無事終え一年間の整理に汗するかたわら、一息つく暇なく新入園児の名簿作成などにおわれている。"この子は、どんな子かな" "どんなところに光る個性をもっているのだろう"と一人一人の名前を書き込みながら思いをめぐらす。年少児三十七名の担任となる。男児二十四名、女児十三名と圧倒的に男児が多く、さぞかしにぎやかで活気に満ちた園生活がはじまるであろうことを楽しみにしている。
例年のことではあるが、初めて親元から離れて集団生活に慣れるまでには不安で大泣きする子ども、一人で帰ってしまう子ども、いすから離れられずジーッと友達の遊びを傍観している子ども、また入園を待ってましたとばかりにうれしくて園中駆け回ったり、大声をはり上げたりする子ども、時には遊具の奪い合い、ぶつけ合いをする子ども、とさまざまな行動が見られる。そのような子どもたちが望ましい習慣や態度がある程度身につき、さまざまな経験や体験の中から社会性を身につけ、園生活をすっかり自分のものにするまでには、個人差もあるが四、五か月が必要である。私たち保育者は一人一人をよく知り、それにあった援助により一日も早く園生活に慣れさせ、楽しく活動できるようにと奮闘する。
先日卒園したM君、無口で話しかけても気が向いた時首を振るだけの返事だった。そんなM君が運動会の競争で一等をとった。翌日、登園するや「先生!僕一等とったんだよね」と誇らしげに話かけてきた。それ以来すっかり自信をつけ、人が変ったように明朗に