教育福島0111号(1986年(S61)06月)-026page

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なり、かわいい声が時々聞かれるようになった。また、いたずら好きの0君、一日に何度も友達を困らせる。注意されても二分と持たない。そんな0君でも当番の仕事となるとまつ先に取り組み、まだ終らないグループへの手伝いなども積極的に手伝うまでに成長した。泣き虫のT子、普段は明るくて友達も多いが嫌な製作となると手も付けず泣き出すのが常である。T子の心を動かすことができたのは、T子を知ること、家庭を知ることに全力を傾注した後のことであった。ある時、本気でしかった。T子の驚いた顔が真剣な顔に変わった。 「先生!おこんねでえ、泣かねでやってみつから」それからというものは、楽しく製作にうちこみ、賞賛や励ましの中で、いつしか自信をもつまでになった。

子どもたちの思い出は尽きない。その子どもたちが卒園式の日、堂々とたくましく誇らしげに卒園証書を手にした姿にとても感激した。心身ともにたくましく、力一杯、大空にはばたいて欲しい。 「みんな、がんばれ!!」

「教育は人なり」とか「子どもは教師のうしろ姿を見て学ぶ」とかいわれている。一挙手一投足を大事にしながら良い手本を示していかねばと思う。もうすぐ可愛いい子どもたちが入園している。幼い子どもたちとの出合いが楽しみである。

(喜多方市立関柴幼稚園教諭)

 

岩魚釣り

吉 津 政 一

 

。昔に比べると道路もよくなり、かなり奥まで人が入り込むようになった。

 

奥会津の秀峰、朝日岳に端を発する黒谷川は、岩魚の宝庫といわれている。以前、釣り雑誌にそのことが掲載されてから、毎年県内各地はもとより関東方面からも釣り客が押し寄せる。昔に比べると道路もよくなり、かなり奥まで人が入り込むようになった。

岩魚はサケ科の川魚で、源流に近い一番高い所に生息している。非常に用心深く、敏捷な渓流の主である。ひとたび人影を見た岩魚は、岩陰や岩穴などに隠れて容易に姿を見せない。

雪解けのころは、餌の食いつきがよく釣りのチャンスである。まず、人の入らない沢を見つけることから始まる。夜明け前に出発し、かた雪渡りをしながら数時間、大物がいそうな場所にやっと到達。ここで一呼吸。物音を立てず静かに竿を用意する。餌は昨日取ったミミズ。

かた雪といっても安心はできない。足場が崩れたりしないか、右足で雪の状態を確認しながら少しずつ淵に近づく。転落すれば下は冷たい水、命を失うこともある。胸の高鳴りを抑えながら息を殺し、姿を隠して釣り糸をたれる。水の流れる音だけが響く。いっさいの雑念は消え、ただ無心にアタリを待つ。岩魚がおれば必ずアタリがあるはず。あの「ぐぐっ」という手ごたえを待つのである。 「来た」尺物を期待しながら竿を上げる。流木であった。無心の境地はため息に変わる。肩に入っていた力が抜ける。やっといつもの自然体。期待とあせりの中で餌を取り替えもう一度。流れに逆らわず、ポイントに合わせる。さあ、今度こそ、呼吸を止めて待つ。1かかった。渓流に躍る銀鱗、今年最初の獲物である。

見上げれば青い空、雲一つない。雪に光る深山の中での釣りは、憩いと安らぎを与えてくれる。

夏の岩魚釣りはまた格別である。朝もやの山々を横目に奥深くまで車で行き、後は徒歩。目指すは昨シーズン釣り逃がした大物。青々と葉の生い茂った木々をかき分け、クモの巣を払いながら沢伝いに進む。なつかしい場所に到着。はやる気持ちを落ちつかせ、愛用の竿を取り出す。餌は来る途中で捕えたイナゴ。祈りにも似た気持ちを込めて釣りばりにつける。このころには太陽も昇ってくる。糸をたれるときはいつでも太陽に向かわなければならない。背にすると、影が川に映って魚に感づかれてしまう。岩魚は本当に利口で素早い。

遠くからは鳥の透き通った鳴き声がきこえてくる。山の中で大自然の雄大さをいまさらのように感じ、日ごろあくせくした自分がいかに小さいかを改めて反省する。現代の人たちが忘れかけている自然との語らいが岩魚釣りにはあるのだろう。

岩魚は、警戒心が強くて多くは釣れないが、かえってそのために魅力があるのかもしれない。

今年も竿を振る季節がやってきた。

(南郷村立南郷第二小学校教諭)

 

黒谷川は岩魚の宝庫

 

 

 

 

 


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