教育福島0111号(1986年(S61)06月)-050page
博物館だより
縄文人ってどんな顔?
・・・古代へのロマン
−縄文人の復顔−
悠久の縄文時代、この福島県の地に生きた人々がどのような顔をしていたのか、私たち誰もが知りたい疑間のひとつです。そこで博物館では、相馬郡新地町に所在する三貫地貝塚から出土した人骨をもとに縄文人の顔の復元を試みました。
三貫地貝塚は、縄文時代後期から晩期にかけて形成された貝塚で、出土した人骨はおよそ三千年前にここで生活していた人のものと考えられます。
写真上の左が出土した成人女性の頭骨の複製で、右がこの骨に粘土で肉付けをして顔を復元したものです。一般に縄文人は、顔の幅が広く、長さが無く彫りの深い顔をしていたといわれていますが、この三貫地貝塚の女性は比較的細面で”きゃしゃ”な感じの人だったようです。しかし、眉の部分の隆起か若干大きいことや上の歯と下の歯が毛抜きのように噛み合うため下顎か少々突き出ていることなど縄文人の特徴がうかがえます。
また、この女性は生前上顎左右の犬歯を抜歯しており、その痕跡か顎骨にみられます。成人式か結婚式の折にわこなったものでしょう。
縄文人の頭骨(左)と復元(右)
−石鏃の刺さった腰骨−
写真下は、同じ三貫貝塚から出上した男性人骨の腰の部分です。この骨には、驚いたことに長さ二センチほどの石鏃が刺さっていました。
部族の対立抗争に加わって射られたものか、狩りに行って仲間の放った矢か誤って刺さってしまったものか、はたまた人間関係のトラブルか・・・、この骨は私たちに当時の事件をいろいろと想像させてくれるのです。
石鏃の周囲の骨か増殖していることからこの児性は石鏃が腰に刺さったまま痛みをこらえて生き続けていたことがわかります。痛いからと言って家で寝ていたのでは、食料か得られません。このような当時の厳しい生活環境も、このひとつの骨は物語っているのです。
石鏃のささった腰骨