教育福島0112号(1986年(S61)07月)-010page
す。
子どもは、家庭における日常生活の中で、親とのふれあいを通して、さまざまなことを学んでいきます。少なくとも生まれて数年間は、まったく親に依存していますが、成長とともに、家庭での自分の位置、役割を学び、次第に家族との連帯の中に生きる自分の立場や役割を認識するようになります。
幼い時は、きょうだいや近所の遊び仲間との交わりを通して、初歩的な人間関係を学び、両親のしつけによって、より広く複雑な社会で生きていく訓練がなされます。そのためには、十分で適切な愛情と豊かな協働の経験が保障されなければなりません。
このような経験を通して、やがて人を愛し、人のために自らを用いることのできる成熟した社会人となることができます。
大人にとっても家庭は単なるねぐらだけではありません。精神的、肉体的な安らぎを得るとともに、家庭におけるそれぞれの役割を遂行する場です。
また、家庭は、コミュニティを構成する基本的な単位であり、一人の住民、市民として、地域社会にかかわる基盤としての機能をもっています。
2) 学校における参加
児童や生徒は、日中の時間の大半を学校で過ごしています。
アメリカの教育学者デューイは、「学校と社会」で、学校を単なる知識の習得の場にとどめてはならず、生き生きとした、生徒同士の経験交流の場とすることを強調しています。学校を現実社会のモデルとし、そこで知識や科学を学ぶとともに、他者との経験のわかちあい、協働することにより、合理的な問題解決の仕方や、民主社会の一員としての資質が体得されると説いています。
このことからも、学校教育では、知識や技術の習得を目指すものにとどまるのではなく、クラスにおける友人関係、部活動や児童会、生徒会活動への積極的な参加を通して、自己の確立と全人的発達が図られるものです。
学習指導要領にも学校教育において重視すべきものは、創造的な知性と並んで、正義、友愛、自然愛、正しい勤労観など徳性のかん養であることが明らかにされています。
これらは、青少年の社会参加の基本理念となるべきものであります。
3) 地域社会における参加
家庭、学校における社会参加は、青少年のだれもが経験する生活の主要な領域です。その属する家庭、学校の主体的な参加者となり、より積極的で自己の向上につながる社会参加のための準備の場でもあります。
しかし、あまりにも日常性が強いために、ややもすると受動的、義務的、没個性的になりやすく、所属する場との関係に緊張や不適応を生じることもあります。
その意味で、地域社会における社会参加は、真に自由な一人の人格としての選択であり、最も大きな可能性を秘めた場でもあるといえます。
地域における社会参加は、日常余暇に自らの意志で参加する形態をとり、次の三つに大別されます。
ア、仲間集団への参加
イ、青少年団体・グループヘの参加
ウ、コミュニティ形成への参加
(五) 発達課題と社会参加活動
人間が健全な社会人として成長発達していくためには、生涯のそれぞれの発達段階において、習得していかなければならない課題があります。
この発達課題は、適時性と累加性という性格をもっています。
適時性とは、決められたその時期に課題を身につけなければならないということです。すなわち、時が過ぎてしまってから戻ってやることも、逆に、早めにやることも難しいことを意味しています。
累加性とは、積み重ねていくことでありその途中を省略して次の段階にいくことができないことを意味しています。
発達課題は、運動能力、知的訓練、道徳性など、いろいろな側面から考えられています。ここでは、青少年の人格形成上の発達課題を中心に考えてみたいと思います。
1) 少年期は「活動性・自発性」の達成を
幼児期に自立感を達成した少年は、興味、関心の増加にともない、いろいろなことをやってみようと動き回ります。「土と太陽で子は育つ」といわれるのもこの時期です。
活動性は、やる気(積極的な意欲)の基礎になるものと考えられています。
少年に、活動性を育てるためのものの典型は、戸外での仲間との遊びです。
活動性といういわば「やる気」を育てた少年は、自ら目標を定めて、それに向って自分の力で努力し、その達成を目指します。これによって、少年の心の中に目標意識と結びついた自発性が育てられます。
やがて、自分の行動を自分で考えて実行するようになります 当然他の人々とのかかわりに中心をおく行動が望まれます。
2) 青年期は「自己の確立」の達成を
青年は、成長にともないながら次第に、自分がなんであるかを考えるようになり(自己認識)、自分の能力や個性を獲得して、自立して行動すること