教育福島0113号(1986年(S61)08月)-006page
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提言
不変の「しつけ」教育を
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福島県健康・体力つくり推進協議会長
公立藤田総合病院長 本 宿 尚
【筆者紹介】
本宿 尚・ほんしゅくたかし
大正十四年
東京都に生まれる
昭和二十四年
東北大学附属医学専門部卒業
同二十五年
岩手県立盛岡病院勤務
同二十七年
福島県立医科大学第三内科勤務
同三十三年
同大第三内科講師
同三十四年
福島県厚生連坂下厚生病院勤務
同三十九年
同病院長
同四十四年
公立藤田総合病院長
同五十八年
福島県立医科大学客員教授
なお、現在、福島県医師会常任理事、県バスケットボール協会長、県体育協会常務理事、県スポーツ振興審議会委員、県健康・体力つくり推進協議会長等の要職にあり、本県の医学、健康、スポーツ活動等に尽力されている。
教育に関しては全くの素人であるが、私なりに教育の目的は、と問われれば、それは、「知育」「徳育」「体育」のバランスのとれた発達を目的とする、という表現が一番妥当かと思う。
現在、此の三者がうまく調和がとれていないところに、いじめ、非行をはじめとする種々の問題が起っているのではなかろうか。
大体、此の表現の順序が悪いのであって、「徳育」「体育」「知育」の順に表現すべきである。
人間は、生物学的に言えばホモサピエンス≠ニいう一種の動物である。それが、他の動物と違って少くとも現時点で、地球上で他の種に君臨していられるのは、「徳」があるからである。
知識、知恵は、勿論、非常に単純なものではあるが他の種にも認めることができる。動物は、親が子を育てることはするが、子どもが、体力の弱った生産性のない親の面倒をみる、ということはまずあまりない。動物よりわずかに人間が優位なのは、その動物の本能では律しされない、「徳」という言葉に包含される「しつけ」があるからである。良いしつけのあるなしで、その人間の価値が決ってくるのである。
しつけは、本来家庭で教えるべきものであるが、残念ながら戦後、大部分の家庭で道徳律を失って
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