教育福島0113号(1986年(S61)08月)-000page
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教育福島
'86 8月号 Vol.113
目次
−表紙絵〜ベン・シャーン「海そのものの姿」−
養護教育における文字指導・(前)飯樋小学校教諭安田鉄男
自然とふれ合う理科授業・河東第三小学校教諭 山ノ内千代子
養護教育センター通信 [PDF]養護・訓練について
レポート〜学校から [PDF]いわき市立内郷第二中学校・県立いわき養護学校
美術館だより [PDF]「英国・国立ウェールズ美術館展」案内・ほか
名画散歩
表紙絵「海そのものの姿」 ベン・シャーン作
(版画集《リルケ「マルテの手記」より》)
アメリカの画家ベン・シャーン(一八九八〜一九六九)かが、ドイツの詩人リルケの「マルチの手記」という小説に感銘を受けて制作した、二十四点の版画集です。繊細な色彩感覚と確かな造形表現が調和した、シャーノ晩年の名作です。
(紙 リトグラフ 五七二二×四五・三cm 一九六八年制作 福島県立美街館蔵)
今月号では、リルケの「マルチの手記」の中から、ベン・シャーンが版画集にまとめた一節を、大山定一氏の訳によってご紹介しましょう。
「一行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人々、あまたの書物を見なければならぬ。あまたの禽獣を知らねばならぬ。空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、朝開く小さな草花のうなだれた蓋らいを究めねばならぬ。まだ知らぬ国々の道。思いがけぬ邂逅。遠くから近づいて来るのが見える別離。まだその意味がつかめずに残されている少年の日の思い出。喜びをわざわざもたらしてくれたのに、それがよくわからぬため、むごく心を悲しませてしまった両親のこと(ほかの子供だったら、きっと夢中にそれを喜んだに違いないのだ)。さまざまの深い重大な変化をもって不思議な発作を見せる少年時代の病気。静かなしんとした部屋で過した一日。海べりの朝。海そのものの姿。あすこの道、ここの道。空にきらめく星くずとともにはかなく消え去った旅寝の夜々。それらに詩人は思いめぐらすことができなければならぬ。いや、ただすべてを思い出すだけなら、実はまだなんでもないのだ。一夜一夜が、少しも前の夜に似ぬ夜ごとの閨の営み。産婦のさけぶ叫び。白衣の中にぐったりと眠りに落ちて、ひたすら肉体の回復を待つ産後の女。詩人はそれを思い出に持たねばならぬ。死んでいく人々の枕もとに付いていなければならぬし、明け放した窓が風にかたことと鳴る部屋で死人のお通夜もしなければならぬ。しかも、こうした追憶を持つだけなら、一向なんの足しにもならぬ、のだ。追憶が多くなれば、次にはそれを忘却することができねばならぬだろう。そして、再び思い出が帰るのを待つ大きな忍耐がいるのだ。思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生れて来るのだ。」
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