教育福島0113号(1986年(S61)08月)-050page

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博物館だより

よみがえる「赤糸威鎧」

−国の重要文化財−

−八百年まえの鎧兜−

「赤糸威鐙残欠」は稀にみる美術品として、国の重要文化財に指定されています。博物館では相馬市の鎧師橘斌さんに依頼し、残欠を手がかりとして、元の姿を再現した複製品を備えることになりました。

赤糸威鎧残欠

東白川郡棚倉町字馬場にある、奥州一の宮都々古別神社の神宝で「二十五間四方白星兜」が付属しています。社伝では源義家の奉納と伝え、松平定信の編さんした「集古十種」には十六点の部品の図がかかれています。大袖・冠板・鳩尾板・兜の◆などは、国宝の御嶽神社の赤糸威鎧と肩をならべる最高級の鎧とされています。平安時代末期に中央で作られた作品と考えられます。

復元制作 赤糸威鎧

甲冑の研究者で、日本甲冑武具研究保存会評議員をしている橘さんは、都々古別神社に通って鎧の残片を細かく実測し、全国の類品を調査して技法や材料を確認したうえで、忠実な復元製作を進めました。

この鎧は、七・四センチ×四・○センチの鉄と革の小札を、一対二の割合いで重ね、これに漆を二十六回も塗り重ねたうえ、茜染めの太い赤紐でとじていまず。小札の重なりは三分の二だから、かなり厚ぼったくなっています。糸は絹糸を手よりでより合わせ、組み紐にして威しています。

大袖や草摺なとの縁どりをする耳糸は、タカノハ打ちといわれる組み紐です。弦走(胴)は鹿皮で、わずかの残片をたよりに他の例も参考にして、三頭の獅子が牡丹の中で遊ぶ図柄を復元しました。二十五間(二十五枚の鉄片)で四方白(白十字)の星兜(鋲止め)も見事です。この華麗で豪壮な鎧を、奥州一の宮(陛奥で第一の神社)に奉納できたのは、当代の第一人者で奥州に下った人、それは源頼朝クラスと考えられます。総合展示の中世の最初のコーナーに展示します。重さは三十六キロもあります。

復元製作された赤糸威鎧の前面

復元製作された赤糸威鎧の前面

立派に完成した鎧の背面と製作者の橘斌

立派に完成した鎧の背面と製作者の橘斌


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