教育福島0114号(1986年(S61)09月)-021page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

随想ずいそう

「慮」

 

「慮」

前田和子

 

層雲」が出てきました。黄色く変色したかび臭いページをめくっていますと、

 

本箱の整理をしていましたら、十数年も前に発行された荻原井泉水の俳句雑誌「層雲」が出てきました。黄色く変色したかび臭いページをめくっていますと、

慮々といへどたたくや雪の門

去来

の句が目につきました。「慮々」とは「おう」「おう」と繰り返して返事をしているが、それが相手には聞こえないとみえて重ねて門をたたいているという意味だと思います。

この「慮」の字について、荻原井泉水は「和」という意味もあり、「協」という意味もある。彼我一如、二者即一の気持ちが「慮」であると解釈を加えておりました。

たしかに考えてみますと、親しく心の通い合う人にとっては、くどくどしたことばはいらないように思います。「おう、そうだ」「おう、そうしょう」で話がまとまるものです。また、久しぶりに友だちと会ったときに発することばとしてよく耳にするものに「やあ」とか「おう」とかあります。これが「慮」の気持ちであり、そして答える心だと思います。

わたしたちは、いつもこの「慮」を求めて生活をしているように思います。答えることばがかえって来ないときには落胆し、「慮」の得られたときは喜びを感じ、一日一日を過ごしているような気がします。

今からかなり前の話ですが、夏休みの数日を利用して、友人と三人で磐梯山に行ったことがありました。郡山で磐越西線に乗りかえて緑の響きあうような山々や渓谷を車窓に見ながら、しばらくぶりで会った友と、それぞれの近況報告をし合う楽しみにふけっていました。

汽車は各駅ごとに止まりながらゆっくりと走りました。いくつかの駅を過ぎたころ、わたしたちのボックスに一人の同年輩かなと思われる女性が座りました。間が悪そうに遠慮がちに座っている様子を視線の端にとらえながら話に花を咲かせておりましたが、こちらは三人だという気易すさもあって、「あなたはどうですか」など時々話しかけたりしましたが、気乗りのしない顔をしてうつむいていました。お菓子などをすすめても、その処置に困ったように手にもっているだけでした。

夏休みも終り、また普段の生活にもどったある日、一通の手紙が届きました。差出人の名前に心当りがなく、不審に思いながら読んでいきますと、夏の日の車中でのお礼のことばと楽しかったという感想が述べてありました。わたしのリュックサックに書いてあった住所氏名をメモしておいたとのことでした。

「慮」には、すぐ返ってくる「慮」もあれば、長い時を経て返ってくるものもあり、相手の心の内に残っているものもあるでしょう。とにかく、心に銘すべきことばだとあらためて考えさせられました。

(浪江町立浪江中学校教諭)

 

幸せを願う

 

幸せを願う

佐藤志良

 

っという間に過ぎてしまって短かかった。夢中で過ごせたためかもしれない。

 

養護学校に勤めて八年目を迎えた。あっという間に過ぎてしまって短かかった。夢中で過ごせたためかもしれない。

「先生、今日数学あるよ」「○曜日数学あるよ」と廊下で会うたびに声をかけてくるS君は中学三年生である。たし算のやり方がわかって、自分で答が出せ、あたったという喜びを体で表わしている。

T君、H君は正、負の数の計算に夢中である。Y君は方程式、関数の問題へとどんどん進んでいく。

「もうできちゃったよ。もっと問題だして」「あと五分あるから、これやつちゃうよ」と時間いっぱいがんばっている。

勉強ができない、やる気がみられないと生徒をなげくことは多い。果たし

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。