教育福島0114号(1986年(S61)09月)-022page
てそうなのだろうか。このくらいば知っているはず、これだけは教えておきたいと教師があせり、生徒も消化不良をおこす。障害をもち、必ずしも年齢どおりの生活経験をしていない生徒の能力差、個人差は大きい。どこでつまづき、何が欠けているかを見極め、個々の力を引き出し、援助していく教師の責任は重大である。子どもらの要求を受け入れながらも、わかる授業、たのしい授業ができればと頭を悩ましている。
私は今、高等部二年生の担任である。H君はHR長。独歩不可で、電動車椅子を使用し障害は重い。しかし、生活態度は他の模範である。学習態度は熱心、行動は積極的、リーダー性は抜群である。碁、将棋、習字、ソロバンと趣味、特技も豊富である。最近はワープロに挑戦している。人間性あふれ、「前向きに生きたい、楽しく悔いのない生活をしたい」と努力している。
Y君は車椅子を使用し、自力での移動は思うようにいかない。その彼は社会問題についての権威である。歴史に関することから、世界情勢まで話しはじめるととどまることを知らない。
他の四人も個性的である。ワイワイ、ガヤガヤ、にぎやかである。同時にまとまりもあって、明るく楽しい。
この生徒らも将来のことになると不安でたまらない。決して自分の障害を悲観しすぎたり、恨んでばかりはいない。閉鎖的な社会に閉じこもることなく、一人の人間として世に出たいと願っている。しかし、まだまだ社会の門はせまい。
養護学校教育が義務化され、社会の理解も深まってはいるが、歴史はまだ浅い。年々児童生徒も重度化、多様化の傾向が強い。学校もそれに対応し、変化している。当然教師も変化しなければならない。障害児教育の原点は何かを見失なうことなく、先輩諸氏の歩みと教えを受け継ぎ、子どもたちの幸せとは何かを考え、親の期待と願いを最大限に尊重した教育を心がけていきたい。
(県郡山養護学校教諭)
このごろ想うこと
青木紀男
毎年、今ごろ実施しているクリーン作戦。雨で一週間延びた日曜日の早朝、ビニールの袋持参で出かけた。運動公園の周辺である。
作業が始まった。何と空カンや空ビン、ビニールの袋などが多いこと。たちまち袋がいっぱいになってしまった。周りの人々が口々に、「だれが捨てたのだろう。こんなに」、「捨てた人に拾わせればいいのに」、「親子でやればいいのに」などと言って拾っていた。
公衆道徳、マナー、家庭でのしつけ等はどうあればよいのか。住みよい、きれいな環境づくりに努めるには、わたしたちは今、何をしなければならないのか。今年もまた、考えさせられた。
わが家の一員にネコが加わったのは昨年の十一月。何年も前から、子どもに何か動物を飼いたいとせがまれ続けていた。私は、その都度、断っていた。
ところが驚いたことに、子どもが友人からもらってきた子ネコが牛乳を飲んでいるところへ私は帰宅した。まだ生後二か月程の可愛いい子ネコだった。夜になると「ニャーニャー」と弱々しく鳴くのを見るたび、親元へ返し、もう少し育ててからにした方がよいのではと考えたりした。
一日に二、三度は運動のためと、欲求を満たしてやるために外へ出すことにした。時折、野良ネコに何の警戒もなく、なれなれしく近づいては、噛み付かれるということがあった。一週間もすると、元気がなく、ビッコを引いたり、足を引きずって歩くようになる。可愛想で見ていられない。こんなときは、決まって家畜病院へ連れていく。病名は、何と「イヌネコヒッカキ病」。化膿した足も回復し、見る見る元気を取り戻してくれた。こんな病院通いを何度か繰り返し、家族中で心配をしたのである。
近ごろは、大部成長し、逃げ上手になったのだろう、猛烈な勢いで家に戻ってくるようになった。もらってきた当時は、階段の昇降すら出来なかったのに、今では私どもより、身軽に、とっとと早くやってのける。
私が家に帰ると、時折、近寄ってきて、私の足に何度も体を擦り付け、しまいには腕に飛び上がってくることがある。可愛いいとしか言いようがない、
このようにして、子ネコはすっかりわが家の大の人気者になってしまった、同時に、家族の一員というような存在である。イヌは人に懐くが、ネコは家に懐くということもよくわかった。寝食は、安全でしかも何不自由ないが、一体全体ネコにとっては幸せなのだろうか。幸せであることを願わずにはいられなくなってしまった。
家が汚れるとか、不潔だ、懐かないで死なせてしまうのではないかなどという先入観で物事を決めつけてしまい、これまで動物を飼うことに反対していた自分の至らなさを反省している。もっともっと早くから飼ってやればよかったものと考えさせられるこのごろである。
(県教育庁義務教育課指導主事)