教育福島0117号(1986年(S61)12月)-028page
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野の花に寄せて
森田 美和子
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自宅から学校まで、私の通勤時間は十五分ほど。田畑の広がる山ぎわの道を走りながら、そのわずかの時間に、“季節”を楽しむことができる。
黄色いタンポポが緑の雑草の中に、ひときは美しい春。
背丈の高い月見草が朝露をおび、咲く夏。
ススキが揺れ、紅葉が鮮やかな秋、思わず車を止めて、ひと枝折って、教室に飾ることも何度かあった。
もう奥会津は、あんなに美しかった紅葉も色あせ、“雪”を待つばかりとなっているのに路傍に目をやると、タンポポがふんわりとわた毛をつけ、月見草が、冷たい風の中で咲き、アカツメグサがぽつんと咲いている。「遅ればせながら…」ひっそりと遠慮がちに咲いている。そんな野の花に、とても心魅かれるのである。
三年ぶりに学級担任となり、中学二年生二十九人を相手にスタートした四月。しばらくぶりの担任に、戸惑いと不安の中で、自分自身に、「焦るな、焦るな」といいきかせた。たとえ小さな学級集団でも、自分の目標とするクラスにするためには、まず生徒たちの気持ちを知り個性を知ることから…と。
「生活ノート」。これは生徒と私を結ぶたて糸。「班ノート」。これは生徒同士を結ぶよこ糸。この二本の糸がうまく絡みあうように、そのために、叱咤激励して今日までやってきた。
小さなノート一冊に、私は人と人とを結ぶ大きな力があると信じている。そしてまた、書くことは、時として、話すことより人の心を動かす力があることを信じている。小さなノートの中に親子のやりとりや、生徒の悩みや夢や個性が見えてくるのである。
部活にかける闘志があふれるH男、
好きな音楽を熱っぽく語るM夫、
凝ってるイラスト入りのS男、T子、
シャレづくりに四苦八苦のN夫、
本の話題に豊富なC子、R子、
家族の様子をユーモラスに書くY男、
プロ野球の結果に一喜一憂するI子、
ちょっぴり批判精神を見せるB夫、
相変わらず、めんどうそうに走り書きしてくるE男……etc。
「めんどうだ」「書くことなんかない」という現代っ子たちだからこそ、敢えて書かせ続けたいという私の執念にも似た気持ちである。
野の花に、それぞれの咲く季節があるように、生徒たちも必ず自分自身の活躍の舞台を待っていると思う。春に、夏に、秋に、冬に…たとえ、どんな小さな事でも活躍の舞台があり、「やればできる」という成就感を味わってほしい。そんな願いをこめて、怒ったりほめたり、時には、生徒とともに沈黙してしまったり、喜びあったりの毎日を過ごしている。教室に飾ってある一枚の絵は、そんな私への戒めでもある。その“あざみ”の花の絵にこんな言葉がある。
「人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲く也」
(南郷村立南郷中学校教諭)
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美しき野の花にチョウが舞う
子どもと季節感
中山一夫
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現在の大人は、子どものころたいがい遊び暮れた楽しい思い出をもっていると思う。私の子どものころは、近所の異年齢の子どもたちが集まって、秋は山でくりを拾い、あけびをとり、山いもほりをして遊びふけっていた。遊びの中で季節を感じ楽しかったことが思い出される。
季節の移り変わりを、どのように感じるかは年齢や個人差あるいは、地域差もあろうが、今の子どもたちは、夏と冬の記憶は鮮明であるが、春と秋はつかのまの短い記憶にとどまっているようである。季節の暦よりも、遠足や宿泊訓練といった学校行事につなげてとらえているようである。生活の中では野菜や果物は、四季を問わず年中出まわり、季節感はなくなっている。
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