教育福島0117号(1986年(S61)12月)-046page
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派遣教師の目
福島県◆鹿児島県
両県の教育を体得
本県では、昭和四十六年度より、鹿児島県との間で「県外人事計画交流」を実施しています。
この制度は、他県等の学校教育を体験し、あわせて調査研究を行い、本県教育の振興に資することを趣旨として実施されているものです。
本年度も、小・中・高校へ各々一名が鹿児島県へ派遣、また、本県で受け入れております。
本号では、両県より派遣された先生方から、「派遣教師の目」として、本県及び鹿児島県の教育等についての感想をご執筆いただきました。
鹿児島県から本県へ
福島へ来て
白河市立白河第一小学校教諭
先田秀裕
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鹿児島県と福島県の交流教員として、鹿児島市から白河市立白河第一小学校へ赴任してきて、早くも七か月になろうとしている。当初、見知らぬ土地、慣れないことば、異なる慣習に不安を抱く生活であったが、同僚の温かい励ましや子どもたちや地域の人々と触れ合ううちに、いつしかその不安もなくなり学校や地域にも慣れ、親しみが湧いてきた昨今である。
福島と鹿児島の違いを肌で強く感じるのは、気候である。四月一日に鹿児島で荷物の積み込みをしたのであるが、そのときは確か半袖のシャツであった。しかし、四月三日、新白河の駅に降り立ったときの風は冷たく、体がブルッと震えたのを今でもはっきりと覚えている。
また、桜の開花期は、鹿児島が三月下旬、ここ白河が四月下旬、ちょうど一か月の差異がある。運動会も白河では九月初旬に行われるが、鹿児島では十月の初旬である。夜明けが早いのもびっくりしたことの一つである。冬から春、夏から秋への季節の移り変わりがはっきりしていて四季が明瞭である。このことも鹿児島では経験できないことである。四月の初めは、枯れ木のような山々が、五月になって新芽をふきだし、やがて緑の山へと移りゆく様には大きな感動を覚えたものである。
白河第一小学校は、今年で創立百年目を迎える伝統校である。また、教育研究自主公開を二十回も続けている研究先進校でもある。県下にはこのように教育研究の成果を自主公開をしている学校が多数あると聞く。学校独自で研究公開を続けている学校は、鹿児島県では少ない。また、小教研教育活動も特色ある教育活動であると思う。地区の研究協議会から県の研究協議会へと組織の一本化が図られ、全県的に取り組んでいることはすばらしい。
鹿児島県でも各地区毎に教科、領域の専門部会を設置し独自の研究を進めている。鹿児島市の場合を例にとると、市内五十六校を各教科、領域別のグループに分け、二年のサイクルで各校一回、会場校として研究公開をする。そして、研究の成果を冊子にまとめる。これを市教研と呼んでいる。
鹿児島県の各市郡でもこのような教育研究の実践は行われているが、福島県で見られるような小教研県大会がない。つまり地区教研と県教研のつながりという点では鹿児島県の場合一体化が図られていない。しかし、各教科の県大会は県指定の研究推進校で毎年行われている。
今、鹿児島県では、教育の基本目標を「二十一世紀をひらく人づくりと文化づくり」とし、「豊かな教育的風土の中で自立自興を目指す郷土教育の推進」を基本方針に、郷土教育の定着・浸透を図っている。郷土教育の推進を踏まえて六つの力点が掲げられているが、その一つに「汗と心の全人教育」というのがある。つまり、自分のため、人のために汗を流すとともに、体力・気力つくりの汗を流し、汗に学ぶ教育、愛汗教育をすすめ、徳・知・体の調和のとれた人間形成を目指すというものである。この鹿児島県の教育の基本方針の実践が、白河第一小学校で見られたのである。教児一体の朝の持久走、創意の時間を活用したふれあい活動、地域美化活動、特活の児童活動、それに地域素材の教材化等がまさにそれに当たる。
また、鹿児島県ではめったに経験できない人生経験をさせてもらったことがある。白河へ来て間もない頃、近所のお年寄りが亡くなられた。隣近所の方々とはあまり面識もない時期である。いつものとおり学校へ出かけた。すると隣りの人から学校へ電話がかかってきた。葬式の準備をするから来て欲し
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