教育福島0120号(1987年(S62)04月)-006page

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提言

 

年齢の数え方

平安博物館館長

平安博物館館長

角田 文◆

 

【筆者紹介】 

角田 文◆・かくたふみえ

大正  二年 四月九日 福島県伊達郡桑折町に出生

昭和 十二年 三月 京都帝国大学文学部史学科考古学専攻卒業

昭和 十二年 四月 京都帝国大学文学部副手

昭和 十四年 七月 文部省在外研究員兼日伊交換学生

昭和 十七年 七月 帰国 

昭和二十三年十二月 同志社大学文学部講師

昭和二十四年 七月 大阪市立大学助教授

昭和二十八年 六月 大阪市立大学教授

昭和四十二年 三月 大阪市立大学教授辞任

昭和四十二年 四月 平安博物館館長兼教授(現在に至る)

昭和四十三年 五月 文学博士

昭和六十一年 五月 勲三等瑞宝章

昭和六十二年十一月 福島県県外在住功労者

 

著書

『国分寺の研究』、『古代学序説』、『紫式部とその時代』『王朝の映像』、『王朝の明暗』、『日本の後宮』、『平家後抄』『淑庭秘抄』ほか二十一冊

年齢の数え方平安博物館長角田文衛、

 

終戦後なされた様々な改革のうちでどうも納得しかねるのは、満による年齢の数え方、右側通行、妙な漢字制限(ご案内、駐とん軍の類)などである。満による数え方は、戦後始めてのものではなく、明治三十五年十二月二日に公布された「年齢計算ニ関スル法律」は、 「年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス」と規定している。しかしこれは一般国民の間に普及せず、嬰児の例や特殊な場合を別とすれば、古来の数え年による計算が通用していた。

満による数え方を再規定し、国民一般に強くその遵守を要請したのは、昭和二十四年五月二十四日発令の法律であって、そこには、明治三十五年の法令に従うべきことが次のように強調されている。

年齢を数え年によって言い表わす従来のならわしを改めて、年齢計算に関する法律の規定により算定した年(一年に達しないときは、月数)によって言い表わすのを常とするよう心がけなければならない。

政府の指導もあって、今では報道機関は全部これを採用しているし、一般国民も幾分躊躇しながらも満による数え方に従っている。

確かに満による計算は、精確であり、合理的であるけれども、情緒に欠け、実際生活にそぐわない面もある。以前には新年と共に家族も、国民全部も一斉に年を取り、それに応じた行事も厳粛になされたものである。今では友人、知人はもとより、自分の孫たちの年齢すらが、誕生日を知らない限り、分からなくなってしまった。

 

 

 


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