教育福島0120号(1987年(S62)04月)-007page

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松平知事をはじめご来賓の方々とともに(61.11月28日表彰式にて)

松平知事をはじめご来賓の方々とともに(61.11月28日表彰式にて)

−前列右側が執筆者と同夫人−

 

新聞紙上には、毎日、計報が載っており、享年が満でしるされている。この享年によってその人の生年を正しく察知することは、誕生日が分からぬ以上、不可能なのである。

歴史事典を見ると、例えば、藤原道長に関しては、(九六六〜一〇二七)と生没年が記されている。これを1027-966=61と計算して、道長は六十一歳で没したと早合点してはならない。彼の命日は、万寿四年(一〇二七)十二月四日であり、彼は数えで六十二歳であった。ところが満で計算すると、彼の享年は六十歳ないし六十一歳であって、そのいずれとも決めえない。と言うのは、道長が康保三年(九六六)十二月の中旬か下旬かに出生した可能性は否定できないからである。これは没年と数えによる享年しか知られていない歴史上の多数の人物について言えることであって、満による数え方では、享年は不明と言うことになるのである。

生没年の記載に関しては、太陰暦と太陽暦とのずれの問題があり、慎重に処理する必要がある。例えば、道長の没した万寿四年十二月四日は、太陽暦では、西紀一〇二八年一月八日に当たっている(『三正綜覧』による)。従って一般に記されている道長の生没年(九六六〜一〇二七)は正しくないわけである。まして彼の誕生日が不明である限り、生年の九六六年も確実ではないのである。満による年齢計算は、歴史上の人物の生没年や享年に関して大きな混乱を招来している。ましてそこには新旧両暦のずれがあるから、歴史学者は、そうした人びとの生没年や享年に関しては、よほどの用心が必要である。

数えによる年齢とは、その人が生まれてから何年目と言うことである。嬰児や幼児の場合には、満による数え方も必要であるが、元日には誰もが齢を一つとる伝統的な数え年の方が日常の生活においても、人物史の研究に際しても、はるかに便利であり、好都合なのである。

 

提言

 

 

 


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