教育福島0120号(1987年(S62)04月)-023page

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随想

ずいそう

出会いについて

 

出会いについて

山川 修

 

のだいじさを指摘したのは、たしか、亀井勝一郎氏であったと記憶している。

 

「問い」をもたぬ邂逅は、単なる「社交」であると喝破し、邂逅の条件として、人生について「問い」を持つことのだいじさを指摘したのは、たしか、亀井勝一郎氏であったと記憶している。

親鸞が師法然との出会いを「遇い難くして今遇うことを得たり。聞き難くして、今聞くことを得たり」と、出会いの喜びを語っている。これは、彼が真摯に人生についての「問い」を持ち続けたからに他ならない。

「出会いについて」の著者小林司氏は、「出会いが起きるときには、一人の人間という存在者が、別の人間という存在者に出会うのであって、他者に出会うことによって自分自身についての認識を得、他者について経験することによって、自分自身を照らし出して自分自身と出会うことができよう。

人間は自我中心的な生き方をしているかぎりは、自分が見えない。自我の殻が破れると、はじめて、他人を受け容れることができ、それによって自分に出会い、ほんとうの自分を知ることによって、大きなショックを受けて成長することができる」と、自分を映す鏡としての出会いの意義を説いている、

出会いは人間だけにかぎらないが、いずれにしろ、その根底として、自分は人間として未熟であり、教師としても不完全であることを自覚し、「問い」を持ち続けることが、よい出会いの契機となるのではなかろうか。

「問い」をもつことが、私たち教師の場合、自分の生き方−教育実践のあり方に対して、「これでよいのか」という疑問をもち、情報の網をめぐらして学んでいくことであるとするならば研修のあり方についても考えてみる必要がある。すなわち、研修の場は意図的、計画的に設定された場だけではなく、日々、展開されている生活の中にこそ求めるべきで、そこには、学ぶべき多くのことが潜んでいるように思われる。

私の場合、今まで数多くの人と出会ってきたが、このことに気づくことが余りにも遅かったように思う。若気の至りと言えばそれまでだが、自負心の強かった私は、すぐれた先輩・同僚がたくさんいたにもかかわらず、見る目はもちろんのこと、聞く耳ももたなかつた。ましてや、子どもから学ぶ心などもち合わせていなかった。「自分はつねに正しいことをしており、決して間違ったことはしていないと自負しているものほど度しがたい人間はいない」と、谷口氏は「聖書の人生論」の中で説かれているが、正に、私はそのような人間であった。

 

今、齢五十の坂を越え、心静かにして、先生方一人一人の週案の記録を読んだり、活動を見たりしている中で、平凡な実践のなかにも並々ならぬ努力の跡が読みとれるようになった。

時、恰も四月、新しい出会いの始まりである。新しい出会いの中で、十分にその喜びを味わいたいと思っている。

(いわき市立川前小学校長)

憧 れ

 

憧 れ

中野明衣

三年生の時のことである。国語の時間に先生が

三年生の時のことである。国語の時間に先生が

「皆さんに書いてもらった詩の中に、とても上手に書けている詩があるので読んであげましょう」とおっしゃって私のノートを持っていかれた。私はその途端、激しい後悔の念におそわれ、体中がぶるぶるふるえ出した。

先生が読み始めると、

「あれ、その詩聞いたことがあるよ」

「国語の本に出ていた詩じゃない」

「先生その詩、二年の国語の本にのっていた詩だよ」と友達が口々に騒ぎ出した。そして、その騒ぎはすぐに激しい非難の声となって私に向けられた。

私は、机に顔がつくほどうつむき、ぶるぶるふるえる手をかたく握って、先生はなんとおっしゃるだろうと身をちぢめていた。

 

 

 


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