教育福島0120号(1987年(S62)04月)-027page

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ありふれたことだが、気持ちの中では何か人生最大の別れの場面に身を置いているような感じがした。ところが一方では、どこかさめた目でその雰囲気を楽しんでいる風でもあった。

ところで別れという悲しさの裏側では演出という要素が少なからずその役割を果たしているのではなかろうかと思う。つまり意識するしないは別としても、演出という行為があって別れは世間一般に言われる悲しい別れとなることが多いのではないだろうか。またそれによっていつまでも記憶に残る出来事となるはずだ。

今でも昨日のことのようにその日の上野駅の情景が蘇ってくるのだが、これには今だから言える演出が実はあった。東京を離れるはずのその日は、同時に引越しの日でもあった。当初、用意された引越しのトラックに乗ってまっすぐ福島に戻る予定だった。ところが友だちが見送ってくれるということなので急遽予定を変更して大宮町までの列車を選んだ。つまり場所を上野駅に移して別れを演出してみたのである。

このようなちょっとした演出が料理のスパイスのように、その場の味をがらりと替えてしまうことは間々あることだろう。その意味からすれば天気も広くは演出の中に含まれるのだが、残念ながらこればかりは自分の意思ではどうにもならないのである。しかし考えてみれば天気だけに頼ってそれを過去を思い出す手懸かりとするよりは、自分で演出した場面の方がよほど鮮明だろう。つまり私が今まで経験した別れの日にただ漫然と晴れていたことがかえってその場の状況を思い出すのには都合がよいのかもしれない。雨の中の別れなどというのは自分を酔わせてしまうだけではなかろうか。

人それぞれにいつまでも残しておきたい思い出とか忘れたくない友だちとかがあるだろう。そんなときちょっとした自分なりの演出を加えておけば、後々素敵な出来事として思い返せるのではないだろうか。就職して四度目の桜が、漫然と晴れた中で散るのを眺めながら、そのようなことを考えていた。

(県立博物館主事)

 

つまずきを生かす

石田 秀喜

 

応が返ってこない。これが、私の教師生活における最初のつまずきであった。

 

ある日、いつものように教室に入ると、子どもたち全員が後ろ向きになって座っている。いつもの冗談かと思ったが、何やら様子がおかしい。いくら言葉をかけてもいっこうに反応が返ってこない。これが、私の教師生活における最初のつまずきであった。

こうなったのには訳があった。前日の愛校活動の時間に、他のクラスの子どもたちが、一生懸命奉仕作業をしている中で、私のクラスの子どもたちだけが、何人かずつかたまってはおしゃべりをしていた。それをみつけた私は、「何回注意すればわかるんだ。それでもおまえたちは五年生か!」かなり感情的に彼らを叱ってしまったのだ。

しかし、それまでの私は、彼らに対してある種の安心感を抱いていた。私と彼らの間には、信頼関係ができていると確信していた。休み時間には一緒にドッヂボールをし、放課後にはサッカーをした。また日曜日には子どもたちを下宿部屋に招き、大学時代のことを話して聞かせたりした。夏休みには、五人ずつのグループごとに、私の実家に遊びに連れていったりもした。

こうして私は、「子どもたちとのふれあいを大切に」と考えて、努めて子どもたちと接する時間を作ってきたつもりだった。しかし、そのふれあいも知らず知らずのうちになれあいになっていたのかもしれない。

一度関係が気まずくなると、なかなかすぐには戻らない。その後の一、二週間は、授業でも休み時間でも、以前のような活気がみられなかった。

そこで、それまでの自分の指導を反省し、いくつか私なりに努力してみようと思ったことがあった。

その一つは、子どもたちを呼び捨てにせず、さんや君をつけることだった。呼び捨ては親しみがある証拠だなどと勝手に決めこんでいた。子どもたち一人一人の人格を尊重することが大切だと思ったからである。

二つめは、お互いに時間を守るように心がけるということだった。けじめある生活を送るためには、欠かすことのできないことだと思ったからである。

そして三つめは、フォローを忘れずにしていこうということであった。叱り放しにしない。そのあと認め、励まし、賞賛の言葉を必ずかけてやるよう努めるということであった。

これら三つのことを頭におき、試行錯誤を繰り返していくうちに、今までにはなかったへ私と子どもたちの関係が見えてきたような気がした。

こうして考えてみると、私はこれまでに随分たくさんの失敗やつまずきを経験してきた。しかし、つまずいたことで、改めて自分の足元を見直そうとし、そこで貴重な何かを得ることが多かったのも確かである。教職七年目、慣れはしてもなれなれしくなったり、惰性に流されることのないようにと、今自分に言い聞かせている。

(田島町立田島小学校教諭)

 

 

 


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