教育福島0120号(1987年(S62)04月)-028page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

学級担任

平野 マチ子

 

学校にも二十五名の入学生を迎え、学級担任として、心を新たにしています。

 

三月に卒業生と別れ、一抹の寂しさを感じていましたが、この四月、三万三千三百余名といわれる福島県の中学校入学生の中からわが群岡中学校にも二十五名の入学生を迎え、学級担任として、心を新たにしています。

群岡中にきて一年生を担任するのは、二度目になります。きらきら輝いている瞳を見ていると、この輝きをいつまでも持ち続けて成長してほしいと願わずにおられません。

本校の場合、学級担任は、小規模校であるため、入学から卒業まで続けて受け持つことが多く、三年間生徒とともに、磨き合えるという良さがあります。

例えば、卒業したA君は、入学当時学習面や生活面で問題が多く、先生方に心配をかけましたが、長い時間をかけての指導、特に生活ノートを通しての日常生活指導、さらに、生徒会活動や部活動の中での指導を三年間継続するうちに、A君は、少しずつ変わり、三年生になってからは、生徒会や学級でもリーダーとしての活動ができるまでになったのです。これも学級担任としてA君とともに三年間歩んでこれたからだろうと思います。

また、校長を中心に、全職員が、生徒一人一人に心を配り、問題を出さない体制づくりと、学級担任という枠を越えた相互協力体制の中で生徒の指導をすすめることができるのも、小規模校、群岡中学校ならではと思うのです。

さて、入学した生徒たちも学校のリズムになれ、今日も元気に大きな声であいさつをして教室に入ってきます。毎日の生活ノートに、今日は、何を書いてきたのだろうか。班ノートには、どのような意見がのっているのだろうかと、私自身が新入生のような気持ちで、朝の学活を楽しみにしている毎日です。

一人一人の生徒との生活ノートによるコミュニケーション。時にそれは、口からの言葉として表わすよりも、考えて、考えぬいた書き言葉なので胸を打たれます。つい最近のノートに、こんなことが書いてありました。−−「う一ん、剣道部に入部するか野球部にするか、くそお一どちらに決めたらいいんだ、と自分の頭でも解決できないような問題になってしまった。(中略)、結局、三年間通してやるのだから、人に左右されて決めるのは、一番悪いし、自分のためにもならないことがわかったので、自分の好きな野球部に入部することに決めた」−−−

中学生になって、まだ日が浅いのにもう一つの壁を乗り越えている生徒を見て、学級担任として、うかうかしていられない気持ちです。

これからも、小規模校の良さを十分生かしながら、生徒一人一人を大切にする学級づくりをしていかなければならないと肝に銘じているこのごろです。

(西会津町立群岡中学校教諭)

 

春に思う

高橋 正之

 

た桜の花が一段と美しい。校庭の桜を見ながら、ふと思い出したことがある。

 

厳しかった冬もようやく終わり、桜の季節となった。春の明るい日ざしをあびた桜の花が一段と美しい。校庭の桜を見ながら、ふと思い出したことがある。

私は大学の先生の後について、猪苗代湖の周辺をよく歩き回ったものである。ハンマーを片手にキャラバンシューズをはいて、露頭があればその崖をよじ登り、ガンガンと岩をたたく。それが面白くてたまらなかった。

私が専攻したのは、地形学(自然地理学)である。そのころは地形学とは何を研究する学問かもよくわからないままに、ただ先生のお供をしていたにすぎなかった。それを私に気づかせてくれたのは、地質学専攻の学生たちであった。私が、「三角末端面が観察され、その下方には扇状地が発達しているので、ここは断層地形といえる」と言うと、彼らは、「断層を証拠づける露頭もないし、断層粘土もない。断定はできない」と言って譲らない。この時、私は初めて自分の勉強している地形学とはどんな学問なのか、その輪郭がぼんやりと見えてきたような感じがした。

地質学は露頭やボーリング資料などというようにアプローチのしかたから地形学とはすでに違いがあるのである。そして、同じ「断層」ということに対しても、見かたが異なれば全然違って見えてくるのも面白いことだと思った。

 

私は、今年度初めて低学年を担任し、毎日子どもから教えられることばかりである。「先生、○○君おしっこひっかける」

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。