教育福島0120号(1987年(S62)04月)-029page
子どもたちが口々に訴えてきた。前担任からその子の数々の問題行動を聞き及び、先入観として「悪い子」のレッテルをはっていた私は、彼をいきなりしかりつけてしまった。しかし、彼が目にいっぱいの涙を浮かべて言うのには、後ろから押されてふり向いたら、隣りの子にかかってしまっただけのこと。二日目にしての失敗である。
それからは、その子を見る目を変えてみた。すると、不思議なことにその子は「悪い子」どころか、とてもユニークで、しかも頼もしい子に見えてきたのである。見かたをちょっと変えただけでこんなふうに思えるようになったのは、驚きでもあった。
「教育」とは何か、その輪郭がぼんやりと見えてきたと思っていた私にとって、この小さな出来事は、大きな衝撃となってはね返ってきた。
私たちは、ともすると、子どもを先入観で見てしまうことがある。「断層」でさえ、見方によっていろいろに見えてくる。まして、子どもをみる場合は多面的にみていかなければならないと思う。教職について七年目の春に思うことである。(国見町梁川町大枝小学校組合立大枝小学校教諭)
図書館から
佐藤 力三
毎年四月には、新入生対象の図書館オリエンテーションを実施している。読書指導と関連づけて、国語の授業を一学級一時間ずつ都合してもらう。
まだ緊張ぎみの一年生は、入口で司書さんから個人カードとオリエンテーション用パンフレットを受け取ると、指示された椅子に実に静かに腰をおろす。まるで借りてきた猫みたいだ。
図書館の概要、利用の仕方、読書のおもしろさ等から、年間三千冊以上の貸し出しがあること、毎日百五十名以上の入館者がいること等に話が及ぶと信じられないといった表情が見られる。モーターファンやヤングギター、千冊を越す文庫本に歴史マンガ等があることを知ると、彼らの表情がやっとゆるんでくる。
司書さんから、ブックカードや個人カードの記入の仕方や細かい規則等を丁寧に教えられて講義が終り、残りの時間で一人一冊の本を必ず借り出す作業に取りかかるのである。すると先程までの静かな雰囲気はどこへやら、自由に各コーナーへ元気に散って行く。雑誌の棚へ直行する者、文庫本やマンガの前に集まるグループ等さまざまである。しかしさすがに工業生らしく、専門書のコーナーへは半数以上の生徒が押しかける。図書委員がカウンターの中へ呼び込まれて、司書さんから手早く貸し出し業務を教えられている。
生徒と一対一の対話ができるのがこの時間である。大半は時間内に本を選べるが、そうでない生徒もかなりいるのである。図書館というものになじめない様子であり、読書に無関心という態度である。聞いてみると図書館に入ったのは小学校三年生ぐらいの時までで、その後は遊び等に夢中でとんと縁がなく、中学では掃除が終ると全員部活でユニホームに着替え、カバン持参で教室を出てしまい、めいっぱい練習してそのまま下校の毎日だったという。まわりにいた何人かの生徒も、皆同じことを答えた。それでも終了のベルが鳴る前には、全員借り出すことができ、返却日を指示して終る。
借りた本を返しにきた時が実は本当の勝負なのである。返しっぱなしで二冊めの本を借りない生徒がいないように、うまくリードしなくてはならない。強制でなく、自分で選んで借りて行ってくれたらしめたものである。そんな中から、読書ってこんなにおもしろいものだとは知りませんでしたと控え目に言う生徒も出てきたし、赤川次郎を数冊で卒業し石坂洋次郎等を経て文芸書まで成長した生徒も何人もいるのである。
今年もまた四月がやってきた。二百五十名の新入生のうち、果たして何人が読書人口として成長していってくれるか、昨年より一名でも多く読書の楽しみを味わってくれる生徒が育ってくれたらいいと、心から願いながら、今年もオリエンテーションを実施しようとしているのである。
(県立喜多方工業高等学校教諭)
熱心に説明を聴く新入生たち