教育福島0121号(1987年(S62)06月)-021page

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随想 ずいそう

 

Tくんのこと

白岩洋子

したの」小さな目を輝かせてそう言うと、友だちの遊びの中に入って行った。

 

「先生おはよう。春を見つけたよ。はいあげる」差し出したTくんの小さな手のひらに薄緑色の蕗の董が一個のっていた。「あのね、お母さんにもあげたの、ぼくお母さんと先生好きだから春を半分ずつにしたの」小さな目を輝かせてそう言うと、友だちの遊びの中に入って行った。

 

一人っ子で両親に大切に育てられたTくん。いきなり幼稚園と言う集団の中に入りどんなにか不安だったのだろう。何度も登園拒否を繰り返しお母さんを困らせた。

「ぼく幼稚園つまんない。だれも友だちいないから」Tくんのつぶやきを聞いて私も心を痛めた。

そのTくん、幼虫捜しをきっかけにNくんと仲良しになった。Nくんはクラスの人気者で虫博士と言われている。家から自分でつかまえた「ヤゴ」「かぶと」「くわがた」などいろいろ幼稚園に持って来て飼育のしかたを紙に図解して友だちに説明している。TくんはそんなNくんと遊ぶようになり幼稚園が少し好きになった。

夏休み後また登園をしぶり始めたが、運動会で力走して三位になったことが大きな自信になり、登園拒否はようやく解消された。運動会の時、応援に来ていた両親に三位になった喜びを手を振って伝えていたうれしそうなTくんのうしろ姿は今でも忘れることができない。

発表会では「アリとキリギリス」の劇を緊張しながら熱心に演じていた。

お母さんからは我が子の一生懸命な姿を見て感激で胸がいっぱいになったとの便りが届いた。気弱でちょっと気むずかしやのTくん。少しづつ成長していった。

二月はTくんの誕生日。園で誕生会をするたびに「ぼくの誕生会は雪が降ってる時だよね先生」と楽しみに待っていた。誕生日の日全園児に祝福されインタビューに答えて「ぼくはもも組のTです。大きくなったらお医者さんになりたいです」驚く程大きな声で発表した。誕生会でのTくんのようすを連絡ノートに書きお母さんに知らせてやると、次の日お母さんからは長い便りが届いた。

登園拒否を繰り返す我が子が心配で眠れなかったこと。あの時の苦しみが今になってみると自分にとっても、子どもにとっても、とても大切な経験になったことなどが綿々と書かれていた。

Tくんは四月からは年長組。さらに大きく成長してお母さんを喜ばせてくれるだろう。

 

冷たい雪の下でじっと春の来るのを待ち、Tくんに摘み取られた蕗の薹、そっと匂を嗅いでみるとほろ苦い香りが胸いっぱいに広がり、本当に春を半分もらったような幸せな気持ちになった。

蕗の茎 幼な手にのり 春告げる(会津坂下町立坂下幼稚園教諭)

出会い

 

出会い

秋元勝彦

分なりに様々な場面で精一杯努力して、社会に送り出してきたつもりである。

 

教員生活二十三年を経験すると、いろんな生徒との出会いがあり、それらの生徒を自分なりに様々な場面で精一杯努力して、社会に送り出してきたつもりである。

私を困らせた当時の番長が、現在、酒もタバコも飲まず、工場を経営して立派な社会人として活躍していたり、授業が終わるたびに質問にきてしつつこく聞いて納得するまでいた生徒が、目的を達し、現在、税理士として開業しているなど、それらの卒業生に出会うと想い出がよみがえってくる。

 

N子との出会いは、偶然ではあったが、感動的であった。

「あら、先生、どうしたのですか」「お久し振りですね、N子ですよ」一瞬ビックリしていた私は、まことにもって失礼してしまった。実は、私の近

 

 

 


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